それは使い古された常套手段

 どうしてこんなところにいるのだろう。
 いかがわしいピンク色の部屋の中で、近侍と二人同じベッドに横たわって添い寝をするだなんて、まるで夢でも見ているみたいだ。




 今日は朝から一日、現代へ遠征に来ていた。歴史遡行軍による歴史改変の兆候がないか見回りをして――と言ってしまえば聞こえはいいが、実際は政府から与えられたリフレッシュ休暇のようなものだ。いくつか与えられた司令をこなし、特に人が集まりやすい場所を中心に見回りを行った。
 近侍は「こないな司令まで真面目にこなしてよぉ働きますなぁ」などとぼやきながら私の後ろをついてくる。けれど私に言わせればいつ何時でも本体を抜けるよう警戒しているあたり、彼の方がよほど真面目だった。私はこのような司令を口実に誘ったことを少し後悔した。
 明石は軽口を叩きながら、色々なところについてきてくれた。
 まやかしの呪が効いているのか、人々が目立つ容姿の彼を軒並みスルーしていくのが不思議だった。
 どこか懐かしさを感じる東京タワーで、任務とはいいながらも観光に来たような心持ちで景色を眺めた。学生時代に暮らした町に移動して、変わらない景色と変わった景色を見比べながら当時の記憶に思いを馳せた。以前通っていた洋食屋でオムハヤシを食べ、お腹がいっぱいになった。

「この味がどうしても忘れられなくて、ずっとここに来たかったんだ」
「ええですなぁ。蛍丸と国俊も連れてきたら喜ぶやろなぁ」
「そっか、そうだよね」

 あなたと一緒に来たかったんだ、と目的語を省いたことで命拾いをした。彼にとっては蛍丸と愛染のことがとても大切で、それはわかっていたことなのだけれど。やっぱりそうなのだなと改めて現実を突きつけられる。

「……帰ろっか」

 少しでも距離を縮められたら、という私の目論見は成功することはなかった。政府からの司令などという卑怯な口実を使って誘ったのだから、彼が仕事モードを崩さないのは当然の帰結だった。大勢の行き交う人々をぼんやり眺め、軽口を叩きながらのんびりした歩調で観光気分を楽しんでいるように見えるけれど、実際は張り詰めた緊張感で周囲を警戒していた。
 彼のこの隠れた生真面目さは大変好ましいと思う。惚れた欲目もあるのかもしれない。しかし今回に限っては、その生真面目さが足を引っ張っていた。
 明石は終始優しくて私を気遣ってくれた。けれど決してこちらに踏み込んでこようとはしなかった。
 いや、そもそも明石は最初からその気などなかったのかもしれない。ただ遠征を命じられたからついてきただけだ。そこに好意を挟む余地などあっただろうか、と思考が悪い方に傾いていく。
 なんとなく歩調が重くなった私を彼が見咎めた。

「どないしました。疲れたん?」
「んー……まあ、久々に遠出しちゃったから」

 事実、座りっぱなしの本丸生活で体力がなくなっていたというのもあって、帰途につくころにはすっかりへとへとになっていた。学生時代にはこのくらい余裕で歩いていたのに、と愕然とせざるを得ない。

「どこかに休憩できるところがあればええねんけど」

 明石が歩みを進めながらあたりを見回す。活気のある学生街から一歩離れると、やや猥雑な飲み屋や大人向けの店が増えてくる。
 やがて彼はとある建物の前でぴたりと足を止めた。

「どうしたの」

 声を掛けたところでしまったと後悔した。私はここの存在を以前から知っていた。この状況でこの道を通るべきではなかったのだ。
 それは猥雑な歓楽街の真ん中で、ある種いかがわしい雰囲気を醸し出しながらそびえ立っていた。



 壁を一面薄いピンク色に塗られたお城。といっても、それは日本の城ではない。西洋のお城を真似たかわいらしい窓や小さな塔をしつらえた、一見何かのアトラクションのようなメルヘンチックな風貌の建物だった。
 建物の壁に貼られた看板にはご丁寧に「御休憩所」と書かれ、利用時間と料金がわかりやすく表記されている。
 彼は看板を興味深そうに眺め、やがてなんでもないことのように口を開いた。

「主はん、御休憩所やって」
「えっあっ……そう、ですね」

 彼は一体何を言い出すのだろう。自分達は恋人でもなんでもなく、一介の主従でしかなかった。通常の感覚なら気まずそうにスルーする場所であるはずだった。
 確かに体は休憩を欲していた。しかしこの看板の「御休憩」は意味合いが違う。
 もしかして、彼は御休憩の意味を文字通りに受け取っているのだろうか。
 明石国行は刀の付喪神で、しかも国宝と呼ばれる貴重な刀だった。あまり使われた形跡もなく、とても大切にされていたと聞いている。下世話な人間の習慣など、ましてや隠語など知らなくても不思議ではない。
 私の焦りをよそに、明石は呑気に笑いかけてきた。

「ゲームもできるらしいで。主はんゲーム好きやん?」
「……好きだけど、これは、その、そうじゃなくて……!」
「何?」
「御休憩の意味が……違うんじゃないかなって……」
「なんかおかしいん?」
「いや……えっと……」

 説明をしなければ。しかしどのように説明をすればいいのかわからず、混乱したまま沈黙するしかない。
 もう少し冷静だったなら、説明をスルーして帰宅へと押し切ることも出来ただろう。ここではなく近くの喫茶店や公園などで休憩を提案することも出来たかもしれない。しかしまさか自分がこのような色っぽい事態に巻き込まれるなんて予想していなかったのだ。
 明石は前髪を触りながらこちらの様子をうかがっていたが、埒が明かないと判断したらしく、私の肩にしなだれかかって吐息混じりの甘い声で囁いてきた。

「あー……もう疲れてもうて一歩も動けへん」
「ぅひぁ!!?」

 耳元で囁かれて私は飛び上がりそうになった。心臓に悪い。悪すぎる。

「こないなところに都合よく御休憩できる場所があるんやったら、さっと休みたいわぁ」

 口説かれているのか、それとも本当に休憩したいだけなのか、何もわからないまま全身が熱くなる。ただわかっているのは、明石が肩に寄りかかって吐息がかかるほどの距離にいて、ほんのり温かくてふわっといい匂いがする、ということだけ。

「主はんも一日歩いて、もうくったくたやろ」
「それは、そうでけど……」

 つい返事をしてしまう。それを聞いた彼の行動は早かった。

「よし行こ」

 そう言うやいなや、彼はさっと建物の中に入って行ってしまった。

「えっ。……えっ?」

 置いていかれて呆然とするしかない。慌てて彼の背中を追いかける。
 もう動けへんとはなんだったのか。と気づいたのはずっと後のことだった。


***


 いくらゲームや映画が観れる御休憩所だと美辞麗句を並び立てても、中に入ってしまえばどこからどう見ても体を重ねる目的で作られた場所でしかなかった。かわいらしい壁紙にやたら大きな鏡、ダブルサイズのベッドの枕元には意味深に並べられたティッシュと四角くパッケージされたゴムがふたつ。
 私はそれを見ない振りをして、まるで逃げるようにテレビゲームに興じていた。
 ピンクのお城の中とは思えないチープなピコピコサウンドが鳴り響く。コントローラーのボタンを押すと、それに反応してキャラクターがジャンプし、効果音が鳴った。
 テレビに備え付けられていたのは随分古めかしい旧型のハードだった。そして古めだけれど有名なタイトルがいくつか。とうてい一晩でクリアできそうにないものまで並んでいる。
 この際内容はどうでもよかった。ただ目の前の現実から逃れて気まずい空気を払拭するために、適当なタイトルを選択してその画面を食い入るように見つめる。生々しい現実を直視したくなかったからだ。
 もぞ、と後方で衣擦れの音がして腰掛けているベッドが揺れる。そして生あくびの吐息が聞こえてくる。恐らく暇を持て余した近侍が寝返りでも打ったのだろう。
 彼は私の後方で上着とブーツを脱いで、悠々とベッドに寝そべっているのだ。いつも通り開いた胸元がまるで誘惑しているようで、気が気じゃなくて後ろを振り向くことができない。

「それ、おもろいん?」
「……んー、よくわかんない」

 会話が途切れる。
 私の返答もまずかったのだろうが、普段どちらかというと多弁な彼が黙っているのがかえって不気味だった。
 沈黙に耐えかねて話しかける。

「明石さんもゲームしないの」
「自分はこういうのはなぁ。国俊は粟田口の連中とよぉ遊んどるみたいやけど」
「そっか」

 そして再び沈黙。テレビゲームのピコピコ音が鳴り響く。
 気もそぞろになりながらコントローラーをカチャカチャやっていると、明石がもぞもぞ這い寄ってきて、もうひとつのコントローラーを掴んだ。

「いうても得意じゃないねんて」

 言い訳をしながらゲームに乱入してくる。彼はしばらくおぼつかない手つきでコントローラーを操作していたが、あっけなくやられてコントローラーを手放した。

「明石さん、弱い」
「せやから言うたやん……」

 明石はうつ伏せになったままベッドに顔をうずめる。その動作がかわいらしくて、つい笑ってしまった。
 こんな状況でも彼はいつものような力の抜けた態度だった。なんだか私だけが意識して、私だけが緊張していたみたいだ。少しほっとするけれど、まるで私のことを意識していないみたいで切なくなった。
 いったい私はどうしたいのだろう。自問自答してみるが答えは出ないままだ。


 テレビ画面にはゲームオーバーの文字が流れ、しばらくしてタイトル映像に戻った。
 明石は義理を果たしたとばかりにもとの位置に帰っていった。よっこいしょ、と気の抜けた声を出し、再びもぞもぞと這いつくばってベッドに横たわる。
 そしておもむろに隣のスペースをぽんぽんと叩いた。

「……ほら、せっかく横になれるんですから、主はんも休み」

 成人男性の姿を持つ付喪神にしてはあまりに無邪気な誘い方だった。まるで蛍丸や愛染国俊を寝かしつけているようで、もしかしたら下心も何もないのかもしれない。
 私は何の覚悟もできないままベッドの端に腰掛け、動けずにいる。

「何も心配せんでも、お布団は噛みつかんで」

 明石はそう言って笑顔を見せる。
 見当はずれの慰めもいいところだった。けれど、おかげで諦めがついた。たぶん彼は男女が同じベッドに同衾してどうなるのか想像すらしていないのだ。
 テレビ画面を消し、半ばやけになってベッドに上がり、ごろりと横たわる。
 同衾、というより添い寝とでもいった風情だった。身じろぎするたびにベッドはパリパリと変な音を立てる。下に防水用のビニールか何かが敷かれているのだろう。音を立てるたびに、ここは普通の寝所ではないということを意識させられる。
 隣の様子をうかがうと、近侍が自分の腕を枕代わりにして寝そべっている姿が目に入った。無防備な姿だった。いつものように胸元をさらけ出していて、手を伸ばせば触ることだって出来てしまう。

「こないに横になってくつろげるなんてええですなぁ」

 そう言ってあくびをひとつ。私の下心に比べれば、彼の言葉はあまりに混じりっけなしで純粋だった。
 ぽやぽやと眠そうに目を瞬かせている近侍を眺めながら、私はぽつりとこぼした。

「寝れないよ」

 眠れるわけがないのだ。隣には好いた男が横たわっていて、ベッドの上で二人きり。出来すぎたシチュエーションだった。
 隣から手が伸びてきて、まるで幼子を寝かしつけるように頭をポンポンと触ってきた。

「蛍丸はこうするとすぐ寝るんですわ」

 明石はそれから、寝かしつけの様子をつらつらと語った。蛍丸はすぐ寝るけど愛染は寝つきが悪くて――という話をしてきたけれど、全く頭に入ってこなかった。私はその優しい手で触れられてよからぬことばかり考えているのだ。

「その手袋」
「ん?」
「なんでそんなに、短いの」

 ずっと気になっていた。手袋にしては露出が多すぎる。きっと彼は私が邪な気持ちで見ていることなんて、想像もしていないのだ。

「これな、便利やねんで。柄を握る時は滑り止めにもなるし」
「そっか、滑り止め……」

 なんだかよくわからないまま相槌を打つ。
 寝返りを打つふりをして、なんとなく距離を詰めた。ほとんど顔を埋めるような、まるで恋人同士が愛を囁き合うような距離感だった。幼子をあやすような手つきが気持ちよくて、気づけばこのようなことを口走っていた。

「あの、」
「ん?」
「ぎゅって、していい……?」

 恋人同士でもない男と女が触れ合えるギリギリのお願いだった。我ながらズルい手を使ったと思う。正面切って告白しようともせず、こんな卑怯な手で距離を詰めようとしている。
 明石はしばらく沈黙していたが、やがて抑揚のない声で答えた。

「ええけど」

 その言葉からは感情は読み取れなかったけれど、お言葉に甘えてそっと寄り添った。嫌がられない程度に腰に手を回す。
 彼のかすかに上下する胸を至近距離で眺め、遠慮がちに頭を預けた。
 明石はされるがままになっていたが、ふと思いついたように問うてきた。

「ところで主はん、今日の任務はもう終いですか」
「え、ああ、そうだね……」

 現実に引き戻される。

「ごめん」

 精いっぱいの勇気を出してすり寄ってみたものの、やんわりと拒絶されたようだった。彼は主命に従ってくれただけ。任務だから仕方なく付き合っているだけ、と宣告されたように思えた。のろのろと体を起こし、髪を手櫛で整える。
 こんなおあつらえ向きのお城に入っても何も起こらないなんて、無様だった。泣きたいがそうするわけにもいかない。無理やり笑顔を作ってベッドから降りようとすると、不意に声が掛けられた。

「主はん、今日はぎょうさん働いたと思うんで褒美をもろてもええと思うんですけど」
「あっ、はいっ。何でも言って」

 反射的に返事をする。明石が私にお願いごとをするなんてめったにないことだった。
 しかもまるで恋人同士を思わせるような無理を強いてしまった。できることなら何でも叶えてやりたい。

「何でもて。不用心やなあ……他の連中には言うたらあきまへんで」

 ――ま、でも好都合ですわ。
 そのような声が聞こえてきて私は戸惑った。
 明石が私の頬に手をかける。美しい顔が近づいてきて、唇が優しく触れた。

「ほな、いただきます」



 何が起こっているのかよくわからなかった。
 彼は私の近侍で、今日の護衛も渋々とついてきた、はずだ。任務中は気があるような素振りも見せなかった。このお城に入ってからも抱きしめてさえくれなかった。もはや気がないものだと諦めたというのに。
 しかしこの感触は紛れもない現実だった。

「主はん、口開けて」
「くち、」

 何を言っているのかよくわからなかったけれど、聞こえるがまま口を開く。唇よりも柔らかい部分が触れ合って、もはや何も考えられなくなった。
 体中がふわふわしてきて必死にしがみつく。明石の肩に手を回すと、体が密着するように抱き寄せられた。いつの間にか膝の上にまたがるように座らされ、しかし口づけは止むことはなかった。

「ふ、ぁ」
「ん」

 変な声が出てしまい、顔から火を吹きそうなほど恥ずかしかった。
 呼吸ができない。身じろぎしてようやく解放される。
 なんだか現実感がなかった。ずっと手の届かないと思っていた近侍と口づけを交わしたのだ。
 その相手に至近距離で微笑みかけられ、もう顔を直視できなくなった。
「恥ずかしい……」とつぶやくと、「慣れてもらわんと困りますわ」と返ってきて再び攻勢が始まった。

「くち、あーけーて」

 まるで子供に諭すような言い草だった。

「主はん、子供やないんですから一回言うたらわかるでしょうに」
「んぅ、だって……」

 恥ずかしい、と繰り返すと「ほな最初っからゆーっくりやりまひょか」と今度は優しいキスが降ってきた。口を閉じたまま幾度となく口づけする。優しい触れ合いに、しかしさっきの強烈な体験が忘れられずに顔を出す。
 かすかに口を開くと、それを待ちわびていたように明石が唇を食んだ。

「……慣れました?」
「まだ……」
「ほなもっと練習せんとなあ」

 その言葉に誘われて唇が触れ合った。もはや言われずとも自然に口が開いてお互いを求め合った。雰囲気に飲まれてすっかりおかしくなってしまったのかもしれない。
 腰に手が巻きついて抱き寄せられる。彼の手がするりと腰を撫で、くすぐったさに身をよじる。
 口づけを繰り返しながら、やがて彼の手が胸元に触れた。ぷつ、という音とともにボタンが外された時、私はさすがに危機感を覚えた。

「ちょ、っと、待って」
「どないしました」
「何してるの」
「何って。いやーこの部屋あっついわぁ。汗だらっだらなりますやん」

 言いながら明石は片手で扇いだ。
 意味がよく飲み込めなくて固まっていると、彼は手袋を脱ぎ、自らのシャツのボタンを外した。ほどよく引き締まった腹筋があらわになる。
 確かに薄っすらと汗をかいていた。しかしそれは密着して口づけをしていたからで――それがどうして私の服を脱がすことになるのか。そして目の前、視界いっぱいに広がるしなやかな体。
 大混乱だった。
 何か言わなければ。しかしその思いも虚しく、何も言葉が浮かんでこない。沈黙したままなのをいいことに、彼は「暑い暑い」などと言いながら再び私のブラウスに手をかける。下着が露出して、私はようやく彼の手を押し留めた。

「わ、ちょっと……恥ずかしいからっ」
「これからもっと恥ずかしいことするのに?」

 驚きのあまり近侍と目があってしまった。
 今までぼんやりとしたビジョンしかなかった、その「恥ずかしいこと」の中身を初めて明確に意識してしまったのだ。お互いが裸になって、それで――妄想が膨らむごとに、羞恥心で頬が赤く染まっていく。
 明石はその様子を見て鼻で笑った。

「何を驚いてるやら……。こないな連れ込み宿でやることなんて、ひとつやんか」
「知ってたの……」
「知らないと思てたん?」
「だって、何にも知らなそうな顔して休憩しようって……ゲームも出来るって」
「そんなもん口実やん。こないな古典的な手に引っかかるなんてなぁ……」

 明石はこともなげに言ってのけた。
 思えば最初から様子はおかしかった。私を置いて先行するような刀ではなかったのに、その違和感を指摘することができないままここまで来てしまった。その結果、こうして押し倒されようとしている。

「あの、えっと」
「うん」
「私、こういうの何も知らなくて」
「うん」
「えっと……」

 結局何を言えばいいのかわからないまま沈黙する。
 彼は手を止めたままこちらをじっと見ていたが、やがてゆっくりと顔を近づけて唇を塞いだ。幾度となく繰り返されてきた口づけだった。

「これは好き?」
「ん、」
「さよか」

 肯定するのも恥ずかしくて、曖昧にうなずいてみせると、明石は正しく受け取ってくれたようだった。
 一旦服を脱がそうとする手が止まり安心したのも束の間、彼は実に巧みだった。口づけを繰り返し、安心させるように頭を撫で、頬を撫で、そして首筋を撫でた。いつの間にか手は胸元に降りてきて優しく触れる。少しでも抵抗の意を示したら手を止める。少しずつあやしながら、またひとつ、またひとつとボタンが外されていく。
 気づいたらブラウスのボタンは外されてブラジャーがめくられ胸部が露出していた。
 彼の温かい手がそっと置かれ、ひとつずつ反応を確かめるように優しく触れる。そしてかすかな反応を見るや、そこを重点的に攻め始めた。

「ん、」
「ここ?」

 かすかな喘ぎを捉え、そこを重点的に攻め始める。彼の手つきは優しかったけれど、反応があった場所を執拗に捉えて離さない。

「っふ、……んっ、」
「おーおー、気持ちええなぁ?」
「……そんなこと、は、」
「……。ない、と? ほな、これは?」
「……んぅ、待っ」

 知らなかった感覚が湧き起こってくる。
 胸の先端を掠めるたびに、体の奥がじんわりと熱くなる。その上唇まで捉えられ、おかしくなりそうだった。

「ええで、気持ちよぉなって」
「っ、は、やだ……」

 いつの間にか手は太腿に置かれ、するりと撫でられた。スカートがまくれ下着が露出する。
 口では嫌がってみせるものの、もはや抵抗する気力はなかった。いや、最初から抵抗らしい抵抗などしていなかった。心のどこかでそれを望んでいたのだ。
 彼の指が下着越しに下腹部を撫で、湧き起こってくる快感に身をよじらせる。やがて指が割れ目をゆるりとなぞる。

「どうして、こんなこと……」
「いやいや、自分から誘っといてそれ言いますか」

 言いながら指が下着の中に侵入してきた。まだ他人を受け入れたことがない部分を繊細に撫でられて、かすかに吐息が漏れる。こんな感覚、知らない。

「ん、そんな……つもりは……」
「へぇ。自覚なしでやってたとしたら、なかなかのタラシですやん。おー、こわ」

 違う、とも言えなかった。
 確かにベッドに同衾しながら期待したのも事実で、けれど本当にこんなことになるなんて予想できていなかったのだ。どちらかというといつも断られることばかり想像していた。常に失恋してもダメージを受けないようにありとあらゆる想像をして心を保っていたというのに。心を覆っていた鎧が暴かれていく。

「だって、こんなことになるなんて、思っていなかったから」
「……。無自覚どころか無防備がすぎますなぁ。そんなやから悪い近侍に手篭めにされてしまうんですわ」

 言いながら、手つきは繊細に秘所を攻めていく。やがて陰核の反応がいいと気づくと執拗にそこを撫で、爪先で引っかく。じわじわと内側から来る快感に体が震える。

「や、っあ、ああっ、だめ……っ」
「駄目、っちゅう反応に見えへんけど」
「ま、待って、待って……」
「主はん、往生際が悪いで」

 指先に込める力が少しずつ強くなってきて、おかしくなってしまいそうだった。
 彼の指が陰唇をゆるゆるなぞり、やがてそのあわいに侵入してくる。にちゃにちゃといやらしい音を立て、誰も受け入れたことのないそこがゆっくりほぐされていく。今までの快楽とは違う異物感に、私は怖くなってつい叫んだ。

「だって明石さん、私のこと好きでもなんでもないじゃないですか……!」
「誰が、いつ、そんなこと言いました?」

 明石の手が止まる。部屋の空気が凍ったようだった。声のトーンが下がり、眼鏡の奥の瞳がすうっと細くなる。
 彼は怒っているようだった。
 こんなこと言わなければよかったと一瞬で後悔した。抱かれたいなら黙って流されてしまえばよかったのだ。しかし、何の感情もなく褒賞として抱かれることは虚しかった。だからつい、口に出てしまった。

「言ってない、けど……ずっとそう思ってたから……」
「せやから抱きついたりくっついたりしても安全や、とでも?」
「違う、違う! そういうんじゃなくて」

 どうしてそうなるのかわからなかった。私はずっと片思いで、彼に振り向いて欲しくて決死の思いで行ったアプローチが逆効果だったのだ。あげくの果てには彼の逆鱗に触れてしまった。本当に何とも思っていなかったんだな、と惨めな気持ちになって涙がにじみそうになる。
 なんや腹立つわ、などとぶつくさ言いながら彼はベルトを外し、ズボンをくつろげる。張り詰めた男性器が露出して、私は固まった。がちがちに勃起した男性器は大きくて、それが華奢な明石の体についているなんて信じられなかった。
 下着がずらされ、それが膣口に押し付けられる。ぬる、と生温かい感触がして反射的に叫んだ。

「待って、そんなの入らないよ……!」
「……。ホンマにこのお人は……わざとやってます?」

 彼は一瞬言葉に詰まると、眉間にしわを寄せ、長い息を吐いた。そのリアクションの意味はわからなかったけれど、慌てて首を振る。

「ま、ええわ。こんな調子で他の連中に愛想振り撒かれたらたまらん。……せやから、自分が貰います」
「え……」

 想像と違う答えが返ってきて混乱した。
 まさか、彼は本当に――。そんなはずはない、と心の中でずっと片隅に追いやっていた可能性がちらりと顔を出す。
 もしかしたら、ずっと片思いだと思っていたのは思い違いだったのだろうか。



***







「い、た」
「痛い?」

 じわりじわりと大きなものが体を抉り、押し入ろうとしている。
 明石が心配そうに聞いてくるが、それでも彼は腰の動きを止めようとはしなかった。

「やっぱり止めよう、こんなの――」

 泣き言を口走るが、顔が近づいてきて唇を塞いだ。
 なんだかんだいって明石は私に甘いから、私がお願いしたら止めてくれるだろうという驕りがあったのも事実だった。しかしその期待は打ち砕かれた。あろうことか私の口を塞ぎ、今もなおじわりじわりと体の中へ押し入ろうとしている。ひどい。ひどい。止めてくれない理不尽さと下腹部の痛みにぽろぽろと涙がこぼれる。そのくせ体は悦んでいる。口づけされるのが嬉しくて、とろけそうになるたびに彼自身が押し込められ、少しずつ胎内に入っていく。もう頭の中はぐちゃぐちゃだった。
 やがて腰を持ち上げられ、ぐっと押し込められると、鈍い痛みとともに体の奥にまで入っていく感触がした。

「――っはぁ、はぁ……。ええ、眺めやなあ」

 彼は粗い呼吸をしながら感慨深げにつぶやいた。
 びっしょりと汗をかき、裸体をさらしながら髪をかきあげるその仕草は淫猥としか言いようがなかった。

「ひ、ひどいよ……」

 もはや泣き言しか出てこなかった。私の上にのしかかったまま勝ち誇った顔をしているその男が憎らしくて、思いつく限りの罵詈雑言を投げつけた。

「ばか、きらい」
「……そないなこと言わんで下さいよ」

 明石は涙を優しく拭って頬に口づけしてきた。私の罵倒などまるで歯牙にもかけない、幼子をあやすような態度だった。頭を優しく撫でながら、やがて優しく唇を触れ合わせてくる。拒否されないとわかると、口づけはだんだん深くなっていった。
 口づけするたびに自然と口が開く。すっかり彼に慣らされてしまったのだ。それに気づいた明石がニヤニヤと頬を緩めながら指摘してきた。

「体はこんなに受け入れてくれはるのになぁ」
「ちが、違うもん……!」

 私は恥ずかしくなって暴れた。だが、体が繋がったまま大して動けるはずもなく、無様にもがくしかなかった。手を振り回して目の前の体をぺちぺちと叩く。爪がひっかかり、彼の柔肌をがりっと傷つけた。

「ちょ、痛った、いたたた」
「あ、ごめん……!」

 明石は顔をしかめたがすぐに両の手を捕らえた。私は彼を傷つけた罪悪感から大人しくお縄につくしかない。謝罪すると、彼は何でもないことのようににへらと笑った。

「……まったく、手のかかる主はんや」

 そう言い、頭をぽんぽんと撫でて髪を掬う。
 この期に及んで怒るわけでもなく慈愛に満ちた笑みを浮かべる明石を見て、不意に胸の奥が苦しくなった。
 本当はわかっていたのだ。幼子にするように――とごまかしてきたけれど、そうじゃないということが。
 彼はわかりやすい態度をとる人ではなかったけれど、なんだかんだ言いながら見捨てずに面倒をみてくれた。面倒くさがりながらも仕事はこなしてくれた。時間外と言いつつも寝転がりながらだらだらおしゃべりに応じてくれた。
 褒美を、と言いながら欲望をぶつけてきたのも、不器用な好意の表れだとしたら。
 不意に律動が始まった。腰をぐっと押し込んできて、奥まで刺激してくる。

「あっ……あっ、や」

 息が上手く吸えない。体の奥を突かれゆすられるたびに変な声が出そうになる。まるで自分の体じゃないみたいだ。
 明石が肘をついて体を密着させてきた。腰を浮かせて逃れようとするが、それに合わせて下腹部を押し付けてくる。

「感じてるん?」

 耳元で囁いてくるから、必死に首を振る。
 そんなはずはない。違う。初めて体を開いたばかりで、苦しくて、痛くて――そのはずだった。体の奥から、何かむずむずしたような変な気持ちが沸き起こってくるなんて、そんなことが起こっていいわけがないのに。
 体は精いっぱい酸素を欲しがっている。呼吸をするたびに、こらえきれずに声が出る。恥ずかしかった。

「大っ嫌いな近侍に犯されて感じてるわけや」
「ちが……」
「違う? さっきから嘘ばっかりやな」

 その間にも体の奥は容赦なくぐりぐりと攻め立てられ、耳元からは彼の甘い声でちくちくと責められている。限界だった。私の中でぷつっと何かが切れ、息も絶え絶えになりながら叫び声を上げた。

「ちが……違うの! 好きなの! 好きなの!!」

 言った。言わされてしまった。
 律動が止まり、彼はあっけにとられてぽかんと口を開けた。
 楔を打たれたまま、私は顔をそむける。
 沈黙が痛い。少なくともこんな状況で言うべき言葉ではなかったのだ。
 やがて明石の体から力が抜け、べちゃっと倒れ込んできた。細身の体とはいえ全体重をかけてのしかかられ、息が止まりそうになる。

「……阿呆らし」
「ごめん」
「……色々ごちゃごちゃ考えてたのがどうでもよぉなりましたわ。何なん……まったく……」
「ご、ごめ」

 告白に失敗したのだと泣きそうになるが、それにしては様子が変だった。口では悪態をつきながら、優しく抱きとめてくる。べったりと上にのしかかったまま、離れてくれそうにない。苦しい。重い。痛いくらいに。
 もしかして、私は素直じゃない明石の言葉を額面通りに受け取りすぎていたのかもしれない。
 
「……なに考えてたの」

 そっとつついてみるが明石はぴくりとも動かない。
 しばらく待ってみたけれど返事は返ってこない。そのかわり抱きしめる手がきつくなった。

「答えてよ……」

 彼は口を開こうとはしなかった。
 明石は秘密主義なところがあるけれど、それにしても限度がある。私は何もかもさらけだしたというのに、どうして何も言ってくれないのか。
 顔が近づいてくるが、すんでのところで押しのける。

「だめ、誤魔化されないんだからね」
「……あきまへんの」
「だめっ」

 口を塞いでいる指を甘噛みしてくる。といっても大して痛くはない。まるで大きな犬がじゃれてくるような、そういう戯れの気分にさせられてしまった。

「……気がなければわざわざこないな宿に連れ込んだりせぇへん」

 ようやく口を開いたと思ったら、大変遠回しな告白だった。
 何だか力が抜けてしまい、今更ながらじわじわと頬が赤くなる。

「ずるいなあ、その言い方」
「そうは言いましても、この明石国行がわざわざ休日を潰して現代遠征についてくる意味ぐらい考えてほしいもんですわ。下々の突上げにも耐えて近侍の座にへばりついてるっちゅうのに……」
「そうだったの?」

 彼はそっぽを向きながら細々とつぶやく。
 素直じゃない近侍がそんなことを考えていたなんて、知らなかった。わざわざ面倒な近侍を引き受けて百を超える刀剣男士の統率に心を割いているのだ。その意味を知らされて改めてじんわり惚れ直してしまった。

「ありがとう。でも、もうちょっとこう、なんかさあ……わかりやすい言葉が欲しいなぁ……」
「……もっかいします?」
「ばかっ」


 ***


 翌朝、スプリングのきしむ音で目が覚めた。
 全身が多幸感に包まれたまま、なんだかとてもいい夢を見ているようだった。
 見慣れぬシャンデリアやピンク色のかわいらしい内装の部屋が視界に入る。体中が痛み、昨晩のことは紛れもない現実だと認識する。
 昨晩は結局押し切られてしまった。繊細に触れてくる彼の手を拒めるはずもなく、気づいたらすっかり溶かされてしまった。
 体中の関節がきしむように痛む。特に下腹部の違和感に落ち着かない。しかしこれが繋がった証なのだと思うと悪くはなかった。
 そういえば肝心の明石は、と周りを見渡すと、戦装束を着込んだ男がベッドの端に腰掛けていることに気づく。

「どーも、おはようさん」
「あ……。おはよう、早いね」

 彼はすっかりいつもの調子に戻ったようで、ゆるっと戦装束を着こなして悠々と足を組んでいる。まるで昨日のことを感じさせない佇まいに、自分一人が裸でいることが恥ずかしくなった。掛け布団で体を隠しながら脱ぎ散らかした服を寄せ集め、布団の中でもそもそと着始める。
 ちら、と近侍を盗み見る。服を着ているはずなのに、その下の体のラインを想起して赤面してしまう。こんなことをしておいて、また今日からいつもの日常が始まるなんて変な感覚だった。世間の夫婦や恋人は、みんなこんな感覚を抱えながら平然とした顔で生活しているのだろうか。

 ふと、明石の胸元に昨日の夢の痕跡を発見してしまい、私は大いに慌てた。

「それ!」
「ああ……これ?」

 昨晩、爪がかすめて引っ掻いてしまった部分が赤く腫れている。大きく開いた胸元に隠れようもなく、傷跡は明石の白い肌にとてもよく目立っていた。

「どうしよう、手入れ」
「この程度で資材使わせてくれはるなんて、なんてお優しい。博多はんにどう言い訳するつもりなんやろ」

 そう言われて絶句する。
 資材管理の鬼、博多藤四郎の目をかい潜るなんて不可能に近い。かといって正面切って理由を説明できるわけもなかった。なんとか言い訳を考えなければ、と目を白黒させていると、明石はしたり顔で言った。

「困りましたなぁ。傷物にした責任取ってもらいまへんと」
「それ私のセリフ……!!」

 ほとんど反射的に叫ぶ。顔を真っ赤にさせて抗議すると、彼は腹を抱えて笑った。