壁の花、花になる 4

 明石さんが私のことをアリバイ作りに使ったので、私も「彼氏が出来たので」と大それたことが言って断ることが出来たらいいのだけれど。そんなことが言えるわけもなく「用事ができてしまって」と当たり障りない理由でお断りをすることにした。
 幹事の人にメールを送る。元々あまり期待はされていなかったようで「そっか残念。了解です」と通り一遍の返事が返ってきた。


 それからしばらくは、何ごともない日々を過ごした。彼はただ「彼女がいる」という名義だけが欲しかったのだろうから当然だった。明石さんから連絡がくることもなく、こちらから連絡を取ることもできない。
 今までの生活と同じはずなのだけれど、なんだかすごく寂しく感じる。恋人と別れた後の寂しさってこんな感じなのかもしれない。などと、妄想の中では明石さんを勝手に恋人に仕立て上げようとしている。良くないと思いつつ止めることが出来ない。
 それを打ち破ったのは鶴丸さんだった。

 本日も出勤。朝からパソコンとにらめっこしてひたすらキーボードを打ち込む。やっと書類の一枚を片付けたところで、次の仕事が待っている。
 不意に鶴丸さんがニヤニヤしながら私の席にやってきて、不躾にバシバシと肩を叩いた。
「おめでとう」
「な、何ですか突然」
「言ってくれたらいいのに、水臭いな」
 何がですか、と言いかけてあっと声を上げた。彼は取引先との打ち合わせから戻ってきたばかりだ。ということは、つまり。
「……もしかして、見てしまったんですか、アレを」
「見てしまったんだ、アレを」
 小声で返すと、鶴丸さんは不敵な笑みを浮かべながら繰り返した。彼は面白いことに関して見境がなくなる。
「まさかあんなことをする奴だとは思わなかったな。あいつのプライベートは謎に包まれてるからなあ」
「そうなんですか」
 と感心してから慌てて口をつぐむ。
「あっ、ああーそうですよね! 私もびっくりしちゃって」
 いけない、カノジョがカレシのプライベートを知らないなんて怪しすぎる。
 幸いにも鶴丸さんは気づかなかったようで、「あいつの弱みを握ったら教えてくれ」などと物騒なことを言っている。
 そう言った傍から「何々、どうしたの?」と噂好きの同僚が食いついてきた。
「何かいいことあったの」
 しどろもどろになっていると、鶴丸さんが再び肩を叩いた。
「春が来たんだよな!」
「ちょ、っと、プライベートなので……!」
 これ以上べらべらしゃべられてはたまらない、と慌てるが、彼は面白がって笑うばかりだった。
「そうなの!? おめでとう! ねえどんな人?」
「あ、あはは……」
 まさか取引先の人の名前を出すわけにもいかず、この場は笑ってやり過ごすしかなかった。
 

 鶴丸さんに「内緒にしてください」とお願いはしたものの、噂はあっという間に広がった。
「どんな人なの? かっこいい?」
「そうですね、私にはもったいないくらい」
「いいなー、付き合いたてのカップルの初々しい話聞きたいなー」
 同僚に食いつかれ、「恥ずかしいので……」という一言でやり過ごしたものの、ありもしない彼とのエピソードを求められるのは少々つらいものがあった。何しろ私は写真を撮らせてアリバイ作りに協力しただけ。その時の飲み会で多少いい思いをさせてもらったけど、それだけだった。

 年末に近づくにつれ、社内ではゆったりした空気が流れてくる。
「あーあ、クリスマスかぁ」
 仕事の合間、同僚のつぶやきをきっかけに課内の女性達でひと盛り上がりする。クリスマスに思い入れはないけれど、街中の浮かれた雰囲気に乗せられてなんとなくケーキが食べられるのは嫌いではない。
「うちは例年通り。子供のプレゼントの要求が年々きつくなってきてさ……」
「そっか、お子さんもう大きいですもんね。私は今年も一人さびしくケーキでも食べようかな」
 同僚のつぶやきに同調していたら、思わぬ矛先を向けられてしまった。
「えっそういえばカレシどうしたの」
「いや、まあ……仕事なので」
「えぇ〜もったいない。今が一番いい時なのに」
 同僚からのツッコミにひやひやしながら返す。何も考えずに世間話に乗ると、ついつい付き合っているという設定を忘れそうになってしまう。
 例のカレシとはもちろん何の約束もない。用もないのに自分からは連絡なんてできるはずもなく、一人寂しい夜を過ごしている。
 遅まきながら、彼の言う「社外の人の方が都合がいい」の意味をようやく理解した。こんなアリバイ作りなど、引き受けるべきではなかったのだ。
 嘘をつき続けることがこんなに苦しいなんて思ってもいなかった。
 何も考えずに安請け合いをして、勝手に傷ついている。自業自得だ。
 彼の正体は鶴丸さんにしか知られていない。別れたとか何とか適当に言って、鶴丸さんには話を合わせてもらおうか。


 やっとのことで仕事を終え、よろよろしながら会社を出る。スマホをチェックすると、渦中の人物、明石さんからメッセージが来ていた。
『残業終わり』の一言とともに、キラキラしたイルミネーションの画像がついている。まるで恋人たちの聖地、とでも呼べそうな都会の街路樹を飾ったイルミネーション。他愛のない画像なのだけれど、心がきゅっとしてくる。
『偶然ですね……私も終わったところです。ばたり』とぐったりしたイラストのスタンプを送った。
『おー。それは偶然』
 たたみかけるようにすぐ次の文面が来た。
『茶でも飲みます?』
「えっ」
 思わず声が出てしまった。帰宅中の足を止め、文面をまじまじ眺める。
 これはお誘いなのだろうか。誘いに乗っても、いいのだろうか。
『ホントですか?』
『ホンマホンマ』
 すぐに返事が来て、私は歩く道を引き返すことに決めた。


「わぁ……綺麗……!」
 私達は街路樹を彩るイルミネーションの前にいた。さっき画像で見たばかりだけれど、本物はどこまで見てもきらびやかだった。
「そら良かったです」
 明石さんは隣でニコニコしている。都会の冬は冷え込んできて吐く息が白く、眼鏡が曇んねん、などとぼやいていて笑ってしまった。
 帰宅途中の会社員や、カップルがちらほらと足を止めて見入っている。
 自分達もこの景色の中ではカップルだと思われているのだろうか。淡い期待を抱いてしまいそうになる。
「誘っていただいてありがとうございました」
「会社の近くなんで」
「そうでしたか」
 自意識過剰で恥ずかしい。わざわざオシャレなデートスポットを探してくれたわけではなく、近くだからついでに呼んでくれただけだ。
「でも、嬉しかったです」
 聞こえないような小声でつぶやく。
 不毛な恋だ。届かなくても仕方がない。と思いながら見やると、彼の視線とぶつかった。
「もうじきクリスマスやねんなあ」
「そうですね。……あの、明石さんのクリスマスのご予定は」
 まさにタイムリーな話題だった。勇気を出して口にすると、彼は困ったように口をへの字に曲げた。
「……あー。どうしても外せない用事がありまして」
「そうですか……」
 明石さんは私からのお誘いであることを理解した上で、丁重なお断りの言葉を口にした。
 あっさりとフラれたことにショックを隠せない。がっくり気落ちした瞬間、たたみかけるように言葉が被せられた。
「その次の日は空いてます?」
「え、っと、空いてます」
「一日後で何なんですけど、もし良かったら、デートでもしてくれはったら嬉しいんやけど」
「! 是非……!」
 明石さんの微笑みに射抜かれて顔がじわじわと熱くなる。どうしよう、嬉しい、けれど少し怖い。こんないびつな関係だというのに、本気になってしまいそうだからだ。


(以下続く)