壁の花、花になる 2

 前略。無理やり連れてこられた合コンでイケメンとアドレスを交換してしまいました。
 お持ち帰りされたわけでもなく、恋人になったわけでもないし、私と彼の関係はメル友としか言いようがないのだ。

 明石さんとはあの後駅前で別れた。まさかお持ち帰られるなんて期待などしていなかったのだけれど、改札をくぐろうとしたら呼び止められた。
「礼儀として、連絡先交換しときます?」
「あ、はい……!」
 何の礼儀なのかわからないけれど、言われるがままスマホを取り出し、連絡先を交換する。しかし、わざわざ礼儀と言うからには社交辞令だ。
 無理やり連れて来られた合コンは最悪だったけれど、いい思い出になった。ありがとう明石さん、お元気で。改札をくぐり、電車に乗った。そして礼儀としてお礼のメッセージを送った。

 返事は期待していなかったのだけれど、翌日仕事の終わり頃になって返信がきた。
『どーも、昨日はお疲れさんでした。仕事大丈夫やった?』
 彼には特に仕事の内容を話してはいないのだけれど、何を心配してくれているのだろう? たぶん同僚との関係を心配してくれたのかもしれない。
 渦中の合コンを挟んだとはいえ、心配したようなことは何も起きなかった。同僚達もいい大人なのだから、昨日の合コンの内容を引きずるようなこともなく、今日もいつもと同じように仕事仲間として過ごした。誘ってくれた同僚からは無理やり誘ってごめんね、という謝罪とともにあの後どうなったの? と探るようなこともあったけれど、駅まで一緒に帰っただけで何もなかったことを伝えると、すぐに興味をなくしたようだった。
 メッセージには当たり障りなく『大丈夫ですよ〜。今日もお疲れ様です』と返信する。平文では寂しいかと絵文字なんかもつけてみたりして。こんなテンションでいいのかよくわからないのだけれど、仕事とプライベートの中間ぐらいの雰囲気で送った。ちなみに私のメッセージアプリには、家族と勤務先の同僚、そして学生時代の友人が何人かぐらいしかいない。寂しい限りだ。


 これで終わりだと思っていたら、また数日後ぽつりとメッセージがきた。
『残業ですわ』
 たった一言だけれど、私はびっくりしてしまった。これは今までの社交辞令みたいな内容とはかなり性格が違う。それもだいぶ親しい相手に送るような内容だ。一瞬、送り先を間違えているのではないかと思ってしまったくらいだった。
 しかも、もうすぐ日付が変わろうかという時間だ。私はというと、自宅でお風呂も入ったしもう寝ようと思っていたところだった。
 もしかしたら本当に送り間違いかもしれない。悩んだけれど、それを指摘して打ち切ってしまうにはあまりに惜しかった。とりあえず会話を繋げられるだけ繋げてみて、もし送り間違いだったらその時は諦めよう。
『わぁ、こんな時間までお疲れ様です!』
 とはいえ気の利いた言葉が思い浮かぶわけでもなく、無難にねぎらいの言葉をひねり出して送った。
 少ししてぐったり倒れ込むキャラクターのスタンプが送られてきた。明石さんがそんなポーズでぐったりしているところを想像してしまい、少し笑ってしまう。
 調子に乗ってヨシヨシと慰めるようなポーズのスタンプを送る。その後は特に反応はなかったけれど、少し温かい気持ちになって就寝した。


 今日は午後から来客対応で社内がばたついている。内勤の私には直接関係はしないのだけれど、それでも資料を作成したり会議室を押さえたりといった雑用は回ってくるので仕事は増える。
 たった今会議室に入って行ったはずの同僚――営業の鶴丸さんがばたばたと戻ってきてこう言った。
「すまない! 追加の資料なんだけど、これを五人分印刷して会議室に持ってきてくれるか?」
「あ、はい……!」
 そう言い捨てて鶴丸さんは会議室に戻っていった。急かされるまま資料を作り、コピーしてやや緊張しながら会議室の扉を叩く。
「失礼します」と控えめに入っていくと、手前の席には同僚、そして上座に来客。なのだけれど、見知った顔の男が座っていて思わず目を見開いた。いつかの合コンで一緒になった明石さんだった。会釈されて小さく手を振ってきたので、つられて会釈を返す。そしてはたと自分の本分を思い出し、同僚に資料を渡して逃げるように退出した。
「びっくりした……」
 思わず心臓を抑える。あの前髪の長い特徴的な髪型で眼鏡の男性を見間違えるはずもない。取引先なのは知っていたけど、まさかこんなところで会うなんて。しかも数日前にメッセージのやりとりをしたばかりだった。軽く手を振ってくれたりなんかして、まるで特別扱いされたみたいで気持ちが浮つく。
「きみたちは知り合いだったのか? 驚いたな……」
 ようやく打ち合わせが終わったようで、会議室から出てきた鶴丸さんに突っ込まれてしまった。
「えっと、いえ、飲み会で一緒になったんです」
 とはいえ私達の間柄はその程度だ。メル友、と公言できるほどの関係じゃない。彼はふうん、と相槌を打つと、にかっと笑って「じゃあ次の打ち合わせは同席してもらうとするか」と冗談か本気かよくわからない言葉を口にした。恐らくこれも社交辞令なのだろう、と苦笑いで返す。社会人になって早数年、すっかり社交辞令を流す仕草が板についてしまった。いいんだか悪いんだかわからないけれど、本気にして気まずい思いをしていた頃より生きやすくなったのは確かだ。



 それからまた数週間が経った。取引先といっても現実には接点などないし、用がなくてもメッセージを送ることが出来るほど肝が太いわけでもない。
 つつがなく退勤し、家路につく。ふとスマホが震え、画面を見ると、その文面に目を見張った。
『合コン行かはるんですか?』
 送り主は明石さんだった。
 なんで私に? 送り先を間違えているのでは、と頭の中が真っ白になる。
 確かに出会いは合コンだった。けれどその後は同僚からも見限られたのか、一切誘いなどないし浮ついた生活もしていない。飲み会とは無縁の地味な生活を送る毎日だ。
 困惑しながらも返信の文面を考える。
『送り先、私であってますか? 特にそんな予定はないですけど……』
『そうでしたか。どうも突然すんませんでした』
 すぐに返事が来て、これっきりスマホはうんともすんとも言わずに沈黙する。
 この質問は何だったのだろう。胸の中に言いようのないもやもやが残ったまま夜は過ぎ、そして翌日すぐに理由が判明した。
「ちょっとごめんね、今度また飲み会があるんだけど参加しない?」
 同僚、といっても普段あまり接点のない営業の女性から声を掛けられたのだ。
「えっ……と、飲み会って……」
 半年前の悪夢の合コンがちらりと頭をよぎる。
「この間行ったメンバーでまた飲みませんかって」
 前回幹事だった同僚が口添えしてくる。
「そうなんですか」
 苦い思い出が蘇る。そもそも知らない人とお酒の席に同席するような行為は得意ではないのだ。断る体のいい理由を探していると、幹事の女性から追撃がきた。
「明石さんも来るかもよ?」
「えっ」
 同僚からその名前が出てくるとは思わず、私はつい反応してしまった。ははーん、と彼女達の顔が訳知り顔になる。
「ほらぁやっぱり」
「な、何がですか」
「向こうの幹事の人が、あなたを呼んだら明石さんも来るって言ってたから。もしかしたらと思ったんだけど」
 じわじわと顔が赤くなる。
「えーでもそれって、明石さんはこの子狙いってことでしょ?」
「ああー残念だな! 狙ってたのに」
「でもでも、もしいい雰囲気なら私達が応援するし。ねっ、どう?」
 同僚達が勝手に盛り上がっていて、居心地が悪い。ライバル視されたと思いきや、今度は応援すると言う。
「ええと……考えさせてください」
 そう言うのがやっとだった。
「じゃあ金曜日までにお返事待ってますね〜」と彼女達は撤退していき、私はふうと息を吐く。得意ではないのだ、お酒の席も、あのように調子よく祭り上げられることも。応援する、などと言われたけれど、どちらかというと面白がられているだけだ。
 でも、このような機会でもなければ明石さんには会えないのだ。またいつかお話が出来ればいいなあ、できれば合コンや仕事じゃないところで、と考えてとんでもない高望みをしていることに気づく。それはもうデートだ。明石さんと二人きりでお出かけをして、それで――都合のいい妄想が浮かんでは消えていく。
 おかげでふわふわした気持ちのまま仕事に取り掛かり、しょうもないミスを重ねてあちこちに少しずつ迷惑をかけた。私はぐったりしたまま退勤した。
 明石さんは私が来るなら合コンに出ると言っていたけれど、本当なのだろうか。伝聞にしかすぎない情報を都合よく受け取ってもいいのだろうか。
 ドキドキしながらスマホを握りしめる。帰宅して夕食を平らげた後に腰を据え、手汗をかきながらメッセージを書いては消し、ようやく当たり障りない文面になったかと見直してみる。
『昨日のメッセージの意味がやっとわかりました……! 合コンの話があったんですね』
 大丈夫、先日は彼の方から他愛のないメッセージが来たくらいだから大丈夫のはずだ。まあ返事が来なかったらそれはそれ、潔く諦めよう。とスマホを放り投げベッドに横たわる。
 程なくして『せやねん』と簡潔な返事が返ってきた。関西の人ってメッセージも関西弁なんだなあ。今更だけど不思議な感覚だった。
『明石さんは行かれるんですか』
 しばらく間が開く。どういう返事をくれるだろうか。もし参加するなら私も会いたいと思うけれど、またあの猥雑な空間で神経をすり減らすのかと思うと躊躇してしまう。ぼんやりとネットを眺めたりしながら時間をつぶしていると、一行だけぽつりとメッセージが届いた。
『ちとご相談があるんですけど』
 続きがあるのかとしばらく文面を眺めたけれど、何の動きもない。気になるけれどお風呂に入って時間を潰し、返事を待つ。それでも続きは来なかった。どうしたんだろう。
 もしかして向こうも返信を待っているのだろうか、と返事を送る。
『私に出来ることなら何でも!』
『あかんて』
 あれだけ待たされた割に、メッセージを送ったとたん即レスが来た。
『そんな安請け合いをしてはあきません』
 びっくりしてしまった。なんと答えればいいかわからず、メッセージの画面をスクロールしてみるがそれ以上の情報が落ちているわけでもなく、私はスマホを握りしめたまま固まるしかない。
 なんでいきなりお説教をされたのかわからず、心臓がばくばくしてくる。何でも、だなんて調子のいいことを書いたから引かれたのかも。彼のお眼鏡に叶うような返事ができなかったのかもしれない。
 謝ったほうがいいのだろうか。
 いや、謝るのもなんか違う気がする。
 こういう時、経験が少ないからどうしたらいいかわからないのだ。頭を殴られたようなショックを受け、返事をする文面が思いつかないまま、スマホを置いて就寝の支度をすることにする。
 でも相談したいというのはあっちなんだし、ともやもやしてくる。そこへ電話が鳴った。明石さんだった。
「……はい」
「あー。夜分遅くにすんません」
「あっはい、大丈夫です……」
「すんまへん。さっきの、言い過ぎました。ちと焦ってしまいまして。今話しても大丈夫?」
「はい」
 彼はあーとかうーとかひとしきりの唸り声を口にして、ようやく本題を切り出した。
「さっきの話。ホンマにホンマなん」
「え、あ、はい……」
 確かにいい格好をしたくて安請け合いの文面を送ったのは事実だけれど、どんだけ無茶な要求をするつもりなんだろうか。
「そんなに大変なご相談なんですか」
 明石さんが思い切って切り出した。
「ちぃとまた、話を合わせてくれると助かるんやけど」
「あっ、はい。わかりました……」
 何でも、と言った手前、勢いで返事をしてしまった。しかし私は安請け合いをしたことを後悔することになる。


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