休日のお父さんと嫁はん

 その日は久しぶりの非番だった。掃除でもしようかと応接間を覗くと、働きたくないことで有名な刀、明石国行が寝転がっていた。働かない時間最高ですわー、などと言いながらごろごろしている。
「休日のお父さんって感じ……」
 ジャージ姿でだらけていると本当にそれが板についている。無論悪い意味で。
 なんだかんだ文句言いながら日頃の任務は忠実に遂行しているので、非番の自由な過ごし方までケチをつけるつもりはないけれど。非番でも鍛錬したり、兄弟刀の面倒をみたり遊んだりといった活発な刀達に比べると、彼のこの有り様は目につく。
「ちょっとお父さん! テレビつけたまま寝ないで! それで消したら消したで『今見てたのに』とか言うのやめて!」
「だれがお父さんやねん」
 言われて明石はむっくりと起き上がる。別に彼がテレビを見ていたわけでもないが予想通り乗ってくれたことにほくほくしながら、さっさっと箒をかけていく。
「なんですのんテレビがどうこうって」
「そういう古典的なネタがあるの。さすが明石、乗ってくれてよかったー」
 彼は私の掃除姿をぼんやり眺めながら再び寝転び、あくびをする。話はそこでとぎれる。
 だからまさか、こんな意趣返しされるとは思ってもいなかった。
「いやー。嫁はんは働き者やなぁ」
「は……」
 嫁!? 嫁って言った!?
 ……違う冷静になろう「嫁はん」なんてちょっと前の上方漫才みたいじゃないかセンスが古いんだよ! 女が家にいろだなんてジェンダー的にも最悪だよ! やめさせてもらいますわ!
 といった思考が声から出ていたらしい。はっとして彼を見るとにまにまと笑って肩を震わせている。
「主はん見てると飽きひんわぁ」
 私の慌てふためく様を見てからかわれているだけだと知る。おのれ眼鏡。


 嫁はんネタはどうも明石のお気に入りとなったらしく、あちこちで披露されることになった。
 夜半、広間がにぎやかだったので私は顔を出した。明石、鶴丸、次郎、和泉守といった変わった面子で飲んでいるところだった。暇を持て余している鶴丸に次郎が酒を持ち出し、だらだらしていた明石が捕まったらしい。兼さんはどこでも馴染むので酒と聞いて飛び込んで来たのだろう。
 普段あまり飲まないのだが、たまには、と強引に次郎に押し切られ、せっかくなので酒を注いで回る。
 酌を受けた明石が何気ない顔で言った。
「嫁はんからお酌されるなんてええですなぁ」
 その言葉に次郎は酒を噴き出し、和泉守はそのかっこいい瞳をめいっぱい見開き、鶴丸に至っては大笑いしていた。
「あんた達、いつからそんな仲になったんだい!?」
「こいつは驚きだ!」
「なってないよ! あのね、明石がごろごろしている姿が休日のお父さんみたいだって言ったの。そしたら乗ってくれただけ! まさかそのネタ引っ張るとは思わなかった……」
「お父さん〜? これがぁ?」
「ええですやんお父さん。嫁はんにそう言われたら乗らなあかんて」
「いやそもそもだな、『お父さん』と言われたら『娘』だろ」
「主はんはもう『娘さん』言うお年頃とちゃいますからなぁ」
「うるせぇよ」
 笑いを取るためなのだろうが一言多い。
「じゃあじゃあ、アタシのことは姐さんって呼んでいいよ!」
「あっはっは。そのまんまだ」
 次郎が冗談めかして言うと、鶴丸が目を輝かせて話題に入る。
「じゃあ俺は?」
「鶴丸は、うーん……思いつかない。お兄さん? って感じでもないし」
「俺の事ぁ旦那様って呼んでもいいんだぜ」
 と和泉守が自信満々で切り込んできて一笑いが起きる。
「兼さん男前! でも兼さんは旦那様っていうより『いよっ旦那!』みたいな感じだよね。旦那様、っていうと例えばーー」
「やめとき」
 と、うちの刀剣男士を思い浮かべていると、遮られた。
「んん?」
「うちの嫁はんちょっと気ぃきかんとこもあるんですわー参りますわー」
 明石がしたり顔で言うと、鶴丸と次郎がげらげら笑っている。和泉守は白けた顔をしていて、ネタとしても他の男の話をするなと冗談めかして牽制したのだろう。しかしそれに重ねて日頃の気の利かなさを指摘されているようで私は面白くない。これはあれだ、上方漫才でも前時代的な嫁の悪口で盛り上がるやつだ面倒くさい。しかも本人の前で言うなんてどうなんだ。
「なんだよ……! イマドキ嫁の悪口とか流行んないんだからな!」
 そう言いながら私は席を立った。お酒の席で空気を悪くするなんて野暮なことはしたくなかったからだ。笑いは取れたけど、明石はそういう笑いをとってくるタイプだったのかとちょっとむかむかした。
 この時は酔っ払いの戯言だと思っていたのだ。この時まではまだ。


「主はんはああいったお笑いが好きなん。人は見かけによりませんわぁ」
 近侍の任務中、暇を持て余していた明石が話しかけてきた。
「超好き。めっちゃ好き。『丁わん(ていわん)』も全部見てる」
「なんですの『丁わん』て」
「刀剣男士が漫才とかコントやってる投稿サイトがあるんだー」
 現世のテレビ番組になぞらえてできた刀剣男士たちの動画投稿サイト「T-1」。だがアルファベットを使うのは当の男士たちにわかりにくいという批判を経て「丁わん」に改められた。戦争中だけあって小規模な同好の集まりではあるが、様々な本丸から投稿されている。お気に入りは太平タロージローの豪快なツッコミにもかかわらず一糸乱れぬタローさんの姿、ヤスキヨの罵り合い漫才。最後は必ず和解するところまでが鉄板。この話題に関してはいくらでも語り尽くせるがきりがないのでこの辺で止めにしておく。
「私も出てみたいなーあーでも審神者が出張っているコンビ本当に少ないしましてや女審神者ってこういう場で叩かれちゃうし難しいなー」
 ということを初期刀に語りドン引きされたのは記憶に新しい。「僕は絶対に承認しないどつくだなんて雅じゃない」だって三十六人斬った刀が何を言ってるんだツッコミ待ちか。彼とは仲は悪くないと思うけど、興味あるもののセンスが絶望的に合わない。
 それからできるだけ話題にはしないようにしていたけど、明石が関西弁なのもあって乗ってくれるんじゃないかとつい期待してしまったのだ。今まであまり接点がなかったけど、話しかけてみてよかった。加州の決まり文句になぞらえ、冗談めかして言ってみる。
「私と一緒に『丁わん』に出てくれる相方大募集してるよ!」
「ええんやないですか。主はん見てると退屈しませんし」
「よかったー!」
「その時は働かなくてすみますからなぁ」
「そっちかい」
 気の合う話し相手ができた。と、気軽に考えていた時期が私にもあった。


 また非番の日。明石がテレビをつけたまま、うたた寝をしていた。
 うわぁマジでやってる。……いや違う。あれはネタ振りだ。ツッコミ待ちってやつだ。
「ちょっとお父さん起きて!」
「あかん寝てもうた。嫁はん膝枕して」
「えぇ!? し、しししないし!」
「そないな動揺して。可愛いらしいわぁ」
 肩を揺さぶって起こしにかかると、寝ぼけたふりして待ち構えていた明石がくっついてくる。どうもネタの方向性が以前と違う。以前は私の欠点をちくりとやるネタだったのだが、最近は私をべた褒めして動揺させに来る。
「いや、もうちょっと違う事言って! お客さん待ってるから!」
「うちの嫁はんはなぁ。世界一可愛いらしいですよって」
「……いや終わりかい!」
 何そのオチのないボケ。ボケてないし。むしろ私を辱めにきて楽しんでいる。こんなの「丁わん」に出せるわけない。出したら全方位から叩かれるやつじゃん。加州なんか呆れた顔をしている。
「主〜。ラブラブなのはいいけど、そこまで見せつけられるとちょっと暑苦しいんだけど」
「違うしラブラブじゃないし!」
「嫁はんつれないわー。倦怠期ってやつなんやろか」
「やめてお父さん! うちの内情を世間様に暴露しないで」
 軽い気持ちで言い出した「お父さん」と言う呼称が最近ちょっと恥ずかしい。意識してしまいそうになるからだ。でも別に近侍の時は普通ーにぐだぐだ言ってるだけのいつもの明石で、嫁はん呼びもしてこない。これはただの遊び。休日の時だけ、皆がいる前でだけ披露されるネタなのだ。


 と思ってたら蛍丸にマジレスされてしまった。
「主ぃー。国行の事『お父さん』って本気? 本気じゃなかったら止めた方がいいよ」
「あ、そ、そうだよね……」
 しまった。つい調子に乗っていたけど、こういうネタが嫌なヒトも少なからずいるだろうということを失念していた。特に蛍丸は身内だから、彼からしてみればいい迷惑だろう。
「ごめんごめん。もう止めるね」
 でもなぁ。……楽しかったなぁ。「嫁はん」はネタだけど、相方ができたみたいでちょっと嬉しかったんだ。そして本当に嫁になったようでドキドキしていたのだ。私のお遊びはここまで。「嫁はん」の立場を手放すのは、ちょっと……いや、かなり寂しい。
「うーんじゃあ新しいネタを考えないとなぁ。それなら許される?」
「主ぃ」
「ごめん止めます」
 忠告はしたからね、といつになく真面目な顔で蛍丸は言った。本当に止めなければ。……はぁ。


「嫁はん」ネタを止めたいというのは、結論から言うと許可されなかった。
「そんなんあきません。蛍丸が言うたから止めるって、嫁はんの気持ちはその程度やったんです?」
 彼が蛍丸がらみなのに強情なのは初めてだった。
「ごめん、そこまで本気だとは知らなかった。でも蛍丸に嫌な思いさせちゃったし。私は楽しいけどヒトに嫌な気分をさせてたら本末転倒だし……」
「そっちちゃうし。ええ加減にしてうちの嫁はんほんと鈍いわー」
「いやいい加減にして、はこっちの台詞だよ! 嫁じゃないし!」
 真剣な話をしているのにいつまでそのネタを引っ張るつもりなのか、と怒鳴ると、手をゆっくりと絡め取られる。休日のお父さんを演じている時とは明らかに違う、蠱惑的な瞳に射すくめられてしまう。
「なって」
「え」
「嫁はんになって?」
 言葉を失う。こんな明石国行は見たことがなかった。今まですらすらと出てきていたツッコミがなにも思いつかない。「……えーと」ともにょもにょ言っていると「そこはさっと『はい喜んでー』言ってもらわんと」といつもと同じようなノリで攻めてくる。彼はどこまで本気なのだろうか? 私は一体何を信じればいいのだろうか。
 私はとうとうツッコミを放棄した。
「本気……?」
「えっ、本気やと思われてなかったん。傷つくわー」
 全くいつものテンションで話す明石に混乱する。
「まぁ、冗談の振りして外堀を埋める、ちゅうのはこれ幸いとやらせてもらいましたけど」
 やっと彼の本音のようなものが見えて、私は長い息を吐いた。思えばお酒の席で私を遮ったのも、あれは本気の嫉妬だったんじゃないのか。じわじわと実感が湧いてきて、顔が熱くなってくる。
 明石が寄り添うように近づいてきて、言い含めるように耳元でささやく。
「蛍丸が本気じゃなかったら止めぇ、言うたのは本気だったらええよ、言うことですやん。うちの子ぉ賢いから遠回しに叱咤してくれたみたいやけど。えろうすんまへんでしたなぁ」
「私はその……ネタ振りに乗ってくれたのが嬉しくて、相方みたいなもんだと思ってたよ……」
「相方っちゅうのは、恋人や配偶者を呼ぶ意味も含まれてんねんで」
 知ってました? うちの嫁はんはもの知りやもんなぁー。
 にこにこと明石に水を向けられ、空いている方の手で顔を塞ぐ。うわぁ、と言葉にならない感嘆詞が口から漏れる。こんなんで一本取られるとは。悔しいけど完敗だった。
 本当は知ってたのだ。明石がいつからかそんな風に好意をぶつけてきていることは。知ってて気づかないふりをして、上方漫才を装ってごまかしてきたのだ。だがそれも限界だった。
 見つめ返すと、優しい瞳と目が合う。私は明石の手をぎゅっと握り返した。
「うちに働かないお父さんを養うお金はないんだからね! きびきび働いてもらいます」
「ほんま嫁はんは手厳しいなぁ」

 お後がよろしいようで。