面影の面(おも)

「来派の祖、来太郎国行作の太刀、面影です。死出の山路を駆け下りて、三尺三寸を振り回し、ちぎっては投げ、ちぎっては投げ、最期は堂々たる仁王立ち……! という物語は、私の鉄板ネタです」

 その刀は大げさな身振り手振りとともにすらすらと口上を述べ、深々と一礼をしてのけた。
 来派の刀、面影。揃いの黒づくめの戦装束、同じ色の瞳。面影という刀はいくつか存在するが、それは紛れもなく来派の刀であった。
 彼と自分は製作者が同じ、いわば兄弟刀にあたる。この顕現した姿で会うのは初めてとはいえ、知らぬ仲ではない。向こうも気づいたようで、審神者の傍らに控える自分と視線が合い、控えめに会釈を返す。
 一方、審神者は目をきらきらさせながら口上を聞いていた。当然だろう、審神者にとっては喉から手が出るほど欲しかった念願の新しい刀だ。命を削るほどの試行を重ね、ようやく手に入れた刀なのだから。
「面影さん、ようこそ本丸へ!」
「はい、よろしくお願いします」
「私は審神者です。こちらは近侍の明石さん。面影さんとは同派だから知ってるかな」
「はい。よく存じております」
 つつがなく挨拶を交わし、和やかな空気が流れる。
 この後は本丸の案内をすることになる。慣れたものだし、今回は身内の刀だ。気を張ることもない。すっかり気を抜いて審神者の命令を待っていると、おもむろに彼女はこう切り出した。
「面影さん……あなたけっこう、面白い人ですね?」
 思わず審神者の横顔を凝視してしまう。
 話を振られた面影はしばらく考える素振りを見せ、神妙な顔つきで答えた。
「ふむ、面影の面は面白いの面。確かに通ずるところがあるのかもしれませんね」
「ツッコミがおらん」
 傍から見ていた明石国行は頭を抱えた。
 最初から嫌な予感はしていた。面影はご覧の通りすっとぼけた性格で、一方審神者は隙あらば面白いものを探し、積極的に食いついていく。まさかこのために必死になって鍛刀していたのではないかと疑ってしまうぐらいだった。
「知ってますか、体が白い犬の話」
「尾も白い。……何を言わすねん」
 面影が大真面目な顔で振ってくるものだからついツッコんでしまった。審神者が腹を抱えてぷるぷると体を震わせている。
「ふっ……ふふふっ、さすが兄弟刀」
 そう言われて顔をしかめる。不本意だと明石は思った。


 複雑な思いを抱く自分とは裏腹に、面影はすんなりと来派の面々と馴染んだ。元々国俊も蛍丸も気のいい子たちだ。まだ右も左もわからぬ状態の面影に甲斐甲斐しく世話を焼いている。
「よーし! 今日はだんご虫の観察だ!」
「はいっ。……おお、これがだんご虫。つつくと、丸まる……」
 虫にはしゃぐ国俊と、真剣に見入る面影。わざわざ虫に積極的に関わりたくはないが、遠くから見ているぶんには微笑ましい。
 しかし問題は審神者との関係である。悪い予感はその後も的中し、程なくして彼らは意気投合した。



 面影が顕現してから二日目。
 戦装束をきっちりと着こなした彼が意気揚々と襖を開けると、廊下で審神者と出くわした。
「あ、おはよう面影さん! ちょうどよかった〜」
「おはようございます」
「明石さんもいるじゃん。やっほー」
「いますよ」
「そら来派の部屋ですし、おるやろ」
 自分もつい顔を出してしまい即座に捕捉されてしまった。面影の隣でやれやれとあくびをし、伸びをする。
「おー。主さーん」
 蛍丸と国俊も部屋の中から審神者に手を振り、審神者もそれに応える。一通りの挨拶が済んだところで審神者は面影に向き直って言った。
「じゃあ今日から近侍の仕事を覚えていきましょう。慣れないことも多いだろうから色々教えるね」
「はい、お世話されます」
 キリッとした顔で右手を挙げ、しかし発する言葉はどこかずれている。うっかり膝から崩れ落ちそうになるが、そのリアクションを審神者が見逃すはずがなかった。
「明石さんいいズッコケするじゃん……! さすが関西の刀」
「いや関西の刀がお笑い好きみたいに言うの止めてくれます? ホンマに心外ですわ……」
「えっ違うの……? そっか……お笑い好きでもないのにリアクション取っちゃうなんて、もはや魂に染み付いてるんだね……」
 埒が明かない。べし、と手の甲で軽く叩くと彼女は満足そうに笑った。その様子を見ていた面影が興味深そうにうなずく。
「……なるほど。明石くんはツッコミなのですね」
「そう、明石さんのツッコミは天下を狙えるんだよ」
「何の天下や……」
 頭が痛い。
 例え複雑な胸中を抱いたとしても、腐っても来派の兄弟刀だ。この本丸で当たり障りなく馴染めればいいと密かに願ってはいた。
 しかしまさかこんな風に結託するとは思わなかった。
 気を取り直して話を進める。
「そんな感じで、わからないことがあっても全然大丈夫です。私もフォローするし、明石さんも周りの皆も教えてくれるから」
「はいっ」
「えぇ……せっかく休めると思ったんやけどなぁ」
 ぼやいたら審神者と目が合った。訳知り顔で微笑んでくるから舌を出して応戦する。
「ふふっ。……では行きましょうか」
 審神者が促すと、面影が彼女に向かってスッと手を差し出した。
「では主、お手を」
「ちょちょちょ、何してんの」
 たまらず割って入る。
「何って、手ですが」
 何か問題でも? とキョトンとして首を傾げる面影にいらついてしまう。
「手ぇ繋ぐ必要あらへんやろ。スッと行け、スッと」
 少なくとも自分はそのようなエスコートなどしたことがない。柄じゃない、というのもあるが。長船派ならともかく、同じ来派の兄弟刀からそんな言葉が出てきたことに少々動揺したのだ。
 審神者といえば「すごい……テレビで見たことあるやつだ」と目をキラキラさせているし、一体何が彼女のツボに入ったのかさっぱりわからなかった。やはり刀剣男士を統べる審神者といえど妙齢の女性、そのような扱いに憧れがあるのだろうか。
「仕方ありませんね。では主、改めて行きましょう」


 来派の部屋に戻ると、蛍丸と愛染国俊が本体を手に殺陣ごっこをしていた。暇を持て余した子供の姿の刀剣がよくやる遊びだ。
「今日から面影が近侍なんだよね」
「国行は虫の観察に付き合ってくれないもんなー。裏庭にでっけえ蜘蛛の巣見つけたんだけど、早く教えてぇな!」
「いやまあ……せやな……」
 面影が蟻地獄の巣に興味を示してから、彼らは面白いものを探すべく本丸内を探検するようになった。特に虫の観察に惹かれているようで、悪趣味だ、とは思うものの口には出さない。
「まあそのうち戻ってくるやろ」
 そう言って座布団を敷き横になる。初日だし、今は連隊戦などの大型侵攻もない。軽く一日の流れを説明して、大した役目もなく解放されることだろう。
 しかし夕飯時になっても面影は戻って来なかった。さすがに遅い。蛍丸の腹が盛大に鳴る。
「オレお腹すいちゃった。面影まだかなー」
「……ちぃと様子見てくるわ」
 渋々立ち上がり、廊下に出る。そろそろと足音を殺して執務室に近づくと、明かりがついていないことに気づく。そしてひそかな話し声が聞こえてきた。
「全身の力を抜いて。ゆっくり息を吐いて……ゆっくり吸う」
「こう、ですか」
「うんうん。じゃあ目をつぶって」
「んっ……まだ、怖いです。もっと、優しく握ってください」
「どーも、明石ですけども」
 たまらず大声で叫んだ。いきなり襖を開ける強行に至らなかったぶんだけまだ理性が残っていたらしい。
「あっ」と小さな声がして、留めていた理性も吹き飛んだ。襖を開けると、面影が畳の上で横たわり、審神者がその隣で手を繋いでいた。
 無遠慮に彼らをじろじろ眺めるが、別に着衣が乱れてはいなかった。想像した光景とは違ったが、言葉の端々に棘が出てしまう。
「何をしてはるんですか」
「眠り方がわからないって言うから、コツを教えていたんだけど」
「あーええですええです、そういうのはうちで引き受けます」
 まだ人の体に慣れていないとはいえ、いくらなんでも限度がある。このままでは男ならではの事情ですら審神者に教えを請おうとするんじゃないだろうか。
 半ば無理やり引き剥がして面影を連れて帰る。
「えっ、だって、皆にも教えてたし……」
 審神者はごにょごにょと呟いていたが構わず「どーも、おおきに」とおざなりな返事をして退出した。



「夕飯時になっても帰ってこんと思たら、何をしてんの」
「眠る練習です」
 面影はきょとんとしながら答えた。
「あんなん近侍の仕事でも何でもないし、主はんに相談するような内容ちゃうやろ」
「主が何でも相談してほしいと言ったので」
「それでもや。まず周りの刀に相談するとかあるやろ。……自分とか」
 言いながら、苦虫を噛み潰したように口の端が曲がる。損な性分だと思った。働かないを自認する刀が自ら面倒を背負い込もうとしている。
「じゃあ明石くん、眠る時は手を繋いでください」
「はぁ?」
 露骨に嫌な表情をしてみせるが、彼は大真面目だった。
 まるで保護しなければならない刀がもう一振り増えた気分だ。何故子供でもない大人の姿の刀と手を繋いで寝なければならないのか。もやもやするが、少なくとも下心を持って審神者に近づこうとしていたわけではなかったらしい。彼は大真面目にこの世界に迎合する手段を探していて、ただそれが天然ボケに見えるだけなのだ。それだけだ。
 結局三人がかりで代わる代わる面影を寝かしつけることになった。蛍丸と国俊がお兄さんぶって両側に陣取る。やがて寝付きのよい子供たちがさっさと寝てしまい、仕方なしに自分も寝かしつけてやる。
「明石くんは良き保護者なのですね」
「あんさんの保護者になったつもりはあらへんけどな」
 調子に乗ったことを言うから釘を刺してやる。けれど悪い気はしなかった。


 今日は演練。面影のサポートとして部隊に組み込まれた。
「じゃー行きますかっと」
「よっしゃー!」
 蛍丸と国俊が気合いを入れている。
 対戦相手を見て、面影が目を見開いた。
「明石くん。私がいます」
「ま、そらおるやろな」
 刀剣男士はそれぞれの審神者の元へ顕現する。相手の本丸にいたとて何ら不思議ではない。
「殺してはいけないのですよね」
 面影の呟きを聞いて、今度は審神者が目を見開いた。
「おーおー、物騒やなぁ」
 とへらへら笑ってみせる。
 審神者は少し落ち着きを取り戻したようで、部隊に指示を出すべく声を張り上げた。
「殺さないように……と言いたいところですが、相手もそんなにやわじゃないので思いっきりやっちゃって下さい!」
「よっしゃあ!」
「はいっ」
 演練の舞台に行き、相手と対峙する。合図とともに戦いが始まった。鬨の声を上げ、刀を交える。
 結果は惜敗。面影は初陣だし、相手の刀もベテラン揃い。よく善戦したほうだ、とすら思えた。
「これは、憤死ものですね……」
「ま、しゃーないしゃーない」
「今日は相手が強かったね! 特に面影さんは初めてだし、これから経験を積んでいけばいいよ」
 面影が柄にもなくしょげているので、皆でなだめる。国俊は「楽しかったなー! またやろうな!」と意に介さず笑っている。
「相手の面影さん、もう結構鍛えてたね。それにシュッとしてた」
 確かにうちの面影とは印象が違う。相手の面影はどこか儚げでスマートで、そしてその姿に見合わぬ勇壮な大立ち回りを見せた。
「本丸によって個性が違うって言うけど、想像以上に違うね」
「まぁ……そら主はんのせいやろなぁ」
「えぇ?」
「あんな初っ端からぶっ放すから、面影はんにオモロいキャラ付けがされてもうた」
 面影に限らず、うちの本丸は少し審神者の気質の影響を受けどこかユルイところがある。あの大倶利伽羅ですらたまに隙を見せ、審神者にイジられていたりする。もしかしたら自分も少し寄せられている可能性も、なくもない。
 しかも面影の名前は、刀身に持ち主の姿が映るところからきている。余計に強く影響を受けるのだろう。
「うわー……。だってあんなイジリがいありそうな自己紹介するから……」
 しおしおしながら審神者は言う。審神者は基本的に愉快で能天気のように見えるが、たまに繊細な性質が顔を出す時がある。それを見かねたのか、国俊と蛍丸が会話に入ってきた。
「面影は付き合いやすくていい奴だろ? 主さん気にすることねぇって!」
「ねー」
 すっかり持ち直した当の本人も入ってくる。
「面、影ですからね」
「そのネタまだひっぱるんか……」
 審神者の方を見やると、思わず吹き出してしまったようだった。密かに胸を撫で下ろしたが、よく考えるとあまりよろしくない気もする。


 それからしばらくは非番の日が続いた。どうやら出陣のローテーションからも外されているらしく、大した仕事は回ってこない。これ幸いと休むことにする。
「あーホンマ、頭痛い……」
 来派の部屋で横になっていると、面影がひょっこり顔を出した。
「大丈夫ですか明石くん。休み過ぎは体に毒ですよ」
「ホンマやめてそういうの」
 頭が痛いのは物理的にではなく、もちろん比喩である。
 頭痛の原因はもちろんこの兄弟刀、面影のことである。現在、彼は審神者の下で仕事を覚えるべく近侍として務めているが、彼女に強く影響を受けているらしくしょうもない語彙が増えている。いい気になっている、と明石は思う。
「さっさと近侍に戻してもらえるよう進言してきましょう」
「ええって。せっかくの休みを潰さんといて」
 ややふてくされて明石は言った。
 そして自室の床に転がり、薄い座布団を折り枕にする。隙をみてはごろごろと転がっているが、実のところ休めていない。
 面影が顕現してから自分たちの生活は一変した。彼は顕現したことを喜ぶように身の回りの些細なあれこれに興味を持ち、すぐ脱線し、その度に自分たちは本題に引き戻してやらなければならなくなった。
 さらに審神者といるとその心労は倍増する。彼女はその様子を面白がってあわせて脱線していくから収拾がつかなくなるのだ。仕方なくツッコまざるを得なくなる。すると審神者は笑うし、喜ばれたと勘違いして面影の不規則な発言が増える。悪循環だ。
 何をやらかすかわかったものではないとちょくちょく執務室に様子を見に行っていたが、お笑いコンビのように扱われるのは非常に不本意なのである。
 それに、いつか見た光景が頭をよぎる。
 二人が手を繋いで横たわっている。あの光景がどうにも頭から離れない。
 この本丸の近侍は自分だと密かに自負していた。それがどうだ、同派の刀によってそれが脅かされそうになっている。
 彼は素直で、好奇心旺盛で、その上どこか儚気で危うい。そして大真面目にとぼけたことを言ってのける。審神者の興味を惹くのは当然だった。
 まったくもって素直じゃない自分とは大違いだ、と自嘲する。

 ガサガサと音がして思考が中断される。
 面影はタンスのおやつ入れを漁っている。そして開封済みお徳用菓子の袋を手に取った。湿気らないよう密封用のクリップで閉じてある。
「まだ八つ時やないで」
「ええ、知ってます」
 何をしているのか。ぼんやり見ていると、立ち上がって菓子を片手に襖を開けた。
「では明石くん、私はこれにて。任務が残っていますので」
「え、それ持っていくん?」
 明石はさすがに慌てた。味はいいがお世辞にも見栄えのする代物ではない。
「いけませんか。おいしかったので主にもぜひと考えたんですが」
「そういうのは親密な間柄とか、相手の身分を気にせんでもええような関係の人達と内々で食べるもんや。主はんにはいちおー、見栄えのするお茶菓子なんかを用意せなあかん」
 ということになっている。実際はそんなのを気にするような人柄ではないのだが。
「なるほど……。逆に考えると、これを出して喜んでくれたら親密な間柄ってことになりますかね」
「……いや、それはちゃうんちゃう……?」
 なんだかみぞおちのあたりがもやっとするような不快感を感じたが、少々自信がなかったので明石は明言を避けた。
 お徳用の菓子を出したところで恐らく審神者はむっとするどころか喜ぶだろう。とすると、親密な関係を築けたと勘違いすることになってしまわないか。
 止めなければ。しかし何故? なんの権限で?
 言い淀んでいると、片手を挙げて面影は立ち上がった。
「ではこれにて」
「話聞いとらん」
「聞いてますよ。明石くんの話では、親密な間柄ならいいってことでしょう」
「……あー」
 否定する言葉がみつからない。結局開封済みのおやつを持ったまま面影は退出していった。止めるほどの権限も気概もなく、また頭痛の種が増したことに釈然としない思いを抱えつつ、明石は不貞寝を決め込む。
「あっ面影さん! ちょうどいいところに」
 廊下の向こうからパタパタと足音が聞こえてくる。聞き間違えようのない、唯一無二の音。審神者の足音だ。
「おや主、奇遇ですね。ちょうどおやつを持って戻るところです」
「わーこのお菓子、好きなやつだ」
「喜んでいただけて光栄です」
 やがてこそこそ話が聞こえてきた。
「明石さん、いるかな?」
「明石くんなら狸寝入り決め込んでますよ」
「ちょ……」
 非常に心外である。そのようなことを言われてしまっては起きて来ざるを得ないし、本当に寝てたとしても心象が悪い。大変やりにくい。
 だが、こちらの懊悩をよそに、審神者はあっさりと引き下がった。
「そっか。起こしちゃうのも悪いし、また今度にする」
「よいのですか。何なら今叩き起こしても」
「いい、いい! また今度!」
 今度こそパタパタと足音が遠ざかった。
 盗み聞きするつもりはなかったのだけれど、聞こえてしまった。一体何の用事だったのだろうか。


 明石はしばらく座布団を枕にぐだぐだ転がっていたが、やがておもむろに立ち上がった。
 やはり気になる。面影が余計なことをしていないか見張らなければならない。審神者が何の用事で自分を訪ねてきたかも気になる。大変気が進まないが、のっそりと執務室へと向かう。
 執務室の前に来ると、審神者の弾んだ声が聞こえてきた。
「ん、おいし〜」
 早速お菓子を開けているようでパリポリと食べる音がする。
「明石くんは反対したのですよ」
「えっなんで?」
「食べさしのお菓子は失礼にあたるそうです」
「そっかぁ。さすが、よく気がつくよね」
「明石くんはああ見えて気遣いのできる刀なのです。このお菓子の袋止めも湿気防止につけてくれるのです」
「うんうん。近侍の時もさりげなく気を遣ってくれるし。無茶振りしても怒らないし、ツッコミ入れながら結局は引き受けてくれたりしてさ……心労を溜め込んでないか、逆に心配だな」
「そうですか。私の前では雑ですよ」
「そっか……それもそれで見てみたいな。いいな〜」
「そんなにいいものでもないですよ」
「まあ兄弟関係ってそういうとこあるよね……。最近お疲れ気味っぽいから休みを多めにしてるんだけどどう? 休めてる?」
 なんだこれは。
 面影が粗相をしないか見張りに来ただけだというのに、流れ弾で自分が話題にのぼっている。それどころか褒められて心配すらされている。
 思わず人知れず照れてしまうが、このような内容を立ち聞きしていたとあっては大変気まずい。一歩下がって、踵を返そうとした。
「それなんですが主。早く明石くんを近侍に戻しましょう」
 ぴた、と足が止まる。
 面影がさっきも言っていた近侍復帰の話だ。てっきり審神者仕込みのボケをかましてきているのだと思っていたが、そうではなかったのか。この天然はいったい何を考えているのだろうか。
「ん? うーん……だからそれはさあ」
 審神者は渋っている。
 当然だろう、新しく来た刀の育成期間は決まっている。例外はない。と思っていたら、予想外の方向へ話が飛んでいった。
「私情じゃん。私情で面影さんの育成期間を短くするわけにはいかないよ」
「大丈夫ですよ。私、面影は優秀なので近侍の仕事は全て覚えた、とでも言っておけばいいのです」
 面影がしゃらくさいことを言うので思わず口がへの字に曲がる。
 しかし審神者は気になることを言った。私情とは、いったい何のことだろうか? 自分を近侍にすることが私情になるのだとしたら、それは――
 思考を妨げるように面影が畳み掛けた。
「明石くん、近侍を外されてからずっと元気がないです。このままでは寂しくて寂しくて憤死してしまいます」
「ちょい待ちや」
 何を言っているのか。さすがに聞き捨てならない。明石はスパーンと襖を開けて乱入した。
 そこには目を丸くする審神者と、まるで来るのを予想していたように冷静な面影の姿があった。
「お手本のような『ちょっと待った』でしたね」
「いちいち品評すんのやめてくれる?」
 ついツッコんでしまう。
「ホンマええかげんにして。何勝手な憶測で代弁したつもりになってんねん」
「憶測、ですか」
 無意識に本体の柄に手をかける。執務室にぴりっとした空気が流れた。つくづくうんざりしていたのだ。誰も近づけまいとしていた自分の領域に、曖昧にしていた感情に、土足で踏み込んで暴いてくることに。
「わ、わ、わ」
 審神者の泡を食ったようなパニックに二人の戦意が喪失する。さすがに主を目の前に喧嘩するわけにはいかない。
「待って、落ち着いて……!」
「いや、主はんが一番落ち着いてへんやん」
 審神者の慌てぶりに、さすがに少し冷静になった。本体から手を離し、手を開いてアピールをする。
「主、大丈夫ですよ。喧嘩などしていません」
「そ、そ、それならいいんだけど」
 面影といえば近侍の座椅子に座ったまま平然としていた。いくつもの死線をくぐり抜けてきた刀だけあって肝が座っている。
 明石は涼し気な表情の男を苦々しく見た。面影だって決して悪気があるわけではないのだ。まあ彼の場合は悪意がないのが逆に厄介ではあるのだけれど。
 明石は素直に引き下がり、頭を下げた。
「……あー、すんまへん。急に入ってもうて」
「ううううん! いいの! いいんだけど、ええっと……」
 彼女は気まずそうに視線をそらし、顔を赤らめた。
「あの、どこから聞いてたの……」
「あー……」
 じわじわと赤面がうつる。
 それを見ていた面影がしたり顔でこう言った。
「ほら、言ったとおりでしょう。全く世話の焼ける人達ですね」
 面影のクールな表情が憎らしいが、今はツッコむ気にもなれなかった。


「してやられましたわ……」
 近侍の座椅子に腰掛けながら、明石はぼやいた。座布団にはまだ面影の温もりがほんのり残っている。
 全く心外であった。面影の育成期間がまだ残っていたというのに、理不尽な理由で彼は退出していった。何とか申し開きをしようとあがいたが、審神者の赤い顔で見つめられてしまっては退かざるを得なくなった。完敗である。
「では、若い二人で語り合うこともあるでしょうから」
「何を言うてんねん」
 面影が意気揚々と出て行き、執務室に審神者と明石の二人が残された。
「なんかごめんねぇ……」
 審神者はしおらしくしていて、なんだか調子が狂う。
「なんで主はんが謝るんです?」
 審神者はもじもじしていたが、やがて意を決してこう言った。
「面影さんは私の気持ちが見えちゃったみたいなんだよね。それで色々汲んでくれたみたいで……だから面影さんは悪くないの」
 それであの態度だったのかと得心がいった。
 そう言われれば、やけに審神者に馴染んだのも、審神者との距離が近かったのも焚きつけられていたのだとしたら得心がいく。やや強引な面もあったが、とんでもない策士である。あれはただ天然なだけではなかったのだ。

「そういえば主はん、さっき来派の部屋の前まで来たでしょう。用事は何やったんですか」
「えっ? ええ」
 まさか襖越しに会話が聞こえていたとは思っていなかったのだろう。明らかに挙動不審になる。
「あっ別に本当にたいした用事じゃなかったっていうか、特に何も」
 その後も意味のない言い訳を発していたが、やがて観念したようにこう言った。
「ちょっと、元気にしてるかなって……顔を見たかっただけ」
 審神者が顔を真っ赤にして返事をした。腹のあたりがむずむずするが、悪くない感情だった。
「いやいや……主はんも可愛らしいところがありますやん」
 せっかく弱味を握ってやったのだ、多少はやり返してやらないと気がすまない。ちくりと刺して笑っていたら反撃が返ってきた。
「そんなこと言ったらね、明石さんだって寂しくて憤死しそうだったのぉ〜? かわいい〜」
「……」
 審神者のふざけた口調も好意の裏返しだと、今ならわかる。肯定するのも癪だし、否定するのも違う気がしたので特に反撃も思い付かず黙っていたが、彼女は追撃してこなかった。ちらりと隣を見ると、顔を覆い隠してうつむいている。
「自分で言っといて照れてはるやん」
「いや、こう言うの慣れてなくて……!」
 照れて真っ赤になる審神者の額にこつんと優しく裏拳で触れる。なんだかツッコミを入れてごまかしたようになってしまい、自分もだいぶ審神者に毒されてきたなと思った。
「ま、末永くよろしゅう」
 癪だけれど、ほんの少しだけ面影に感謝することにした。