ずっとあなたが好きでした


 近頃の主はんはふわふわと上の空になっていることが多い。なんでも、誕生日が近づいているらしい。
「誕生日ねぇ」
「だからお祝いをやろうかと考えているところなんだけどね……」
 茶の間で自分を含め暇な刀剣たちがぐだぐだ話をしていたところだった。そこへ噂の本人、主はんがひょっこりと顔を出す。せっかくなので茶を勧めると、彼女は素直に座卓についた。
「おめでたいことですなぁ」と通り一遍の祝辞を述べたら、むくれた顔で睨みつけられた。
「とうとう主はんも『あらさー』やなくなるんか」
「違うもんまだアラサーだもん! 二十代から大台に乗っちゃうだけで」
 そこまで言って主はんは「あ、」と口を押さえた。どうやら口が滑ったらしいが、自分には何を気にしているのかわからへん。
「二十九と三十なんて大した差やあらへんやろ」
「そういう問題じゃない! 二十代と三十代、全然違う!」
 憤慨してみせてから、「そりゃ齢千年にもなるお刀様からすれば微々たる差かもしれないけど……」と付け足した。
「せやで。三十年いうたらお稚児さんみたいなもんやなぁ」
 ふくれっ面をしている主はんの頭を撫でてやる。稚児扱いに怒るかと思いきや、そっぽを向いてしまった。
「でも、君もそうやって人らしく齢を重ねていって、経験も増えていく。歳をとるのは決して悪いことじゃないよ」
 石切丸はんが助け舟を出した。さすが神社で人々の悩みを聞いていただけあっていいことを言う。主はんも自分の時とは違い、神妙にしている。……なんや腹立つなあ。
「むしろ人間の二十代なんてとっくに行き遅れじゃないですか?」
 鯰尾はんが空気を読まずに入ってくる。うわ、言いよった。自分ですらさすがにアカンやろと触れんかったのに。
 案の定、お調子もんの脇差は胸ぐらを捕まれとった。
「鯰尾〜? いい度胸じゃない? ……そもそもね、二十代で行き遅れなんてあんたたちが打たれた時代とは違うの!」
「でも言ってましたよね? 三十までには結婚したいって」
「ぐっ……! あれは……若気の至りでっ……」
 口ごもる主はんとちらりと視線が合った気がして、慌てて目をそらした。つい最近までお見合いだの何だの、「婚活」っちゅうやつに精を出していたのは皆が知っている。それに疲れ果て、落ち込んでいるところを皆が代わる代わる慰めていたのは記憶に新しい。
「諦めないでよ主! 俺は人妻になった主を楽しみにしてるんだからなー! 人妻っ、人妻ー!」
 包丁はんまで入ってきて、主はんの周りを飛び跳ねる。相変わらずこの短刀は妙な趣味をしとるなぁ。
 主はんは小さくなっている。さすがに口を出そうかと思ったら、彼の兄弟、薬研藤四郎はんがたしなめてきた。
「包丁、あんまり大将を追い詰めんな。……気にすんなってこった。いくつになっても大将は大将だ」
 薬研はんがそう言い、湯呑みをあおった。たかが湯呑みだというのにいい飲みっぷりがやたらと様になっている。
「薬研……! ありがとうっ!」
 主はんが男前の短刀の肩にすがりつく。自分は見ていられなくて顔をそむけた。


 主はんが仕事に戻り、茶の間の面々もばらばらと解散していった。自分も特に何もないけれど寝なおそうかと自室へ向かう。
「ねえちょっと、明石」
 背後から声を掛けられ、空き部屋に引きずり込まれた。誰かと思えば初期刀の加州はんだった。
「あんたさあ。知ってんでしょ、主が必死こいて婚活してたの」
「まあ……せやなぁ」
 話の糸口が見えない。そもそも加州はんとは大して接点もなく、世間話をする程度だ。何の用なのかさっぱりわからへん。
 が、その紅の瞳がきらりと剣呑な光を帯び、嫌な予感がした。
「俺知ってんだからね。明石が釣書きや婚活の手紙をいくつか握りつぶしてんの」
「……は」
「バレてないと思ってた?」
「いやいや、何言うてますのん。冗談きついわぁ」
 額から汗がだらだらと流れてくる。誤魔化すように力なく笑ってみせるが、彼は追及の手を緩める様子はない。
「代わりに自分が名乗りをあげようっていうなら、見守ろうかと思ってたよ。けど全然進展させてる様子ないじゃん。この、腰抜け」
「……さっきから何なん? あんさんにそないなことを言われるような筋合いはあらしまへん」
「はっ、何度でも言ってやるよ。使われなかった伝家の宝刀。なまくら刀」
 思わず本体の柄に手をかけた。なまくらとまで言われて立ち上がらなければ、刀剣男士の名がすたる。
 だが彼は本体を手にしてすらいない。代わりに白い包み紙で懐を殴りつけてきた。ばさりと派手な音を立て、隙間から紅の花弁がまばらに舞い散っていく。
「俺はね、主のためを思って言ってんの。主の手紙を勝手に盗み見、廃棄なんてする奴は本来なら切腹だ。けど、チャンスをやるよ」
 それが薔薇の花束だと気がつくのに時間がかかった。加州はんの瞳や爪紅と同じ、紅の薔薇。それも七本。なぜか、それを押し付けられている。
「そこまでしたんなら、責任持って主を娶ってやるのが男ってもんじゃないの」
「……はあ?」
 何言うてんの。冗談きついで、ほんま。
 そのような言葉が喉から出かかるが、目にも留まらぬ早業で抜き身の本体を突きつけられてこわごわと花束を抱えるしかない。
「いーい? 主を泣かすようなら、即首を落としてやるから。責任持って求婚すんのと、手紙を握りつぶしたことをバラされるのどっちがいいか考えといて」
 そう言い、加州はんはパチリと納刀して去っていった。
「はあ、何なんこれ……こわ……」
 花束を握りしめ、深々とため息をつくしかなかった。



 それからしばらくは、たまに内番に組み込まれたりしてだらだらと日常を過ごした。すっかり大所帯となった本丸だから、ここのところは部隊に組み込まれることもなく過ごしている。
「働かない時間最高ですわ」と口をついて出ると「んもー。国行はすぐそーなんだから」と蛍丸が悪態をついた。
 加州はんに押し付けられた薔薇の花束は押入れの奥に隠したまま、捨てるに捨てられずにいる。押入れを開閉する度に薔薇の匂いが鼻につき、国俊や蛍丸も気づかないはずがない。だが何の反応も示さないところを見ると、恐らく加州はんから話が通っているのだろう。気を遣うなんてほんまにええ子らや。けれど、この状況はなかなかに面倒だった。
 一度、国俊から「いつ本気出すんだよ!?」と突っかかられたことがあるが「何のことやろなぁ……」とかわして逃げた。
「はぁ……。知らんわそんなん……」
 人気のない空き部屋に逃げ込んで、ごろりと横になる。だいたい求婚するなんて面倒なこと、自分の主義に反している。しかも誰かから強要されてまで求婚する道理などない。
 主はんは人の子や。そして彼女もまた人間の結婚相手を探している。一介の付喪神である自分が手出しするもんやない。
 そう思って、自分の中にあるチクチクしたもんを見ないふりしていたというのに。そばを通るとつい目で追ってしまう。他の刀剣男士と楽しそうに語らっている姿を見かけると、じりじりと体の奥の方が痛んだ。



 とある夜のことだった。
 夏の暑さも和らいできて、そろそろ秋の入口といったところだ。どこからか虫の声が聞こえてくる。
 主はんが浴衣を着て縁側で涼んでいたのを見つけたので、隣に座る。そして手にしていたぐい呑みを主はんとの間に置いた。
 それをちびちびと飲みながら他愛のない話をして、なくなったら適当に切り上げる。自分らはそんな関係だった。これに名前をつけるなら恐らく「飲み友達」ってやつなんだと思う。
 まず自分が一口つけてコトリと縁側に置く。すると主はんが勝手に盃を手に取り、話をしながらくいっとあおるのだ。最初のうちは「何飲んでるの」「それちょうだい」と断りがあったけれど、今やそれもなくなった。ま、ええけどな。
 風呂上がりで髪をゆるく上げた主はんは、ずいぶん艶っぽく見えた。
「ええ夜ですなあ」
「ふふっ。そうだね」
 特に話すことはないけれど――いや、言いたいことは山ほどあるように思えた。けれど主はんの顔を見ると忘れてしまう。
 不意に主はんが言った。
「あーあ。歳なんかとりたくないなあ」
「せやろか」
「そうだよ。みんなは綺麗なままの付喪神様。私一人、おばあちゃんになっちゃう」
「主はんはじゅーぶんお綺麗ですよ」
「そういうお世辞はいいって。でもありがとう」
 お世辞を言ったつもりはないのだけど流されてしまった。
 主はんがあれほど伴侶を求めていた理由が少しわかった気がする。同じ時を歩み、同じように老いていく伴を求めていたのだと。
 それと同時に、少しばかり腹が立った。
「……自分らじゃあきませんの」
「え?」
 主はんがポカンと間抜けな面をさらしたので、首を振って応える。
「それでコンカツコンカツと飽きもせず言うとったんか。あっちゅう間に年老いて死んでいく人間の、なーにがええんでっしゃろ?」
「私も人間だけどね?」
「ほんまや。ハァ……なーにがええんやろなぁ……」
 最後は半ば自分に向けた独白だったけれど、幸いにも主はんには気づかれなかったようだ。
 鈴の音のような虫の声を聞きながら、主はんは渋い顔をした。
「虫の声って綺麗だけど、実物を見ちゃうとね……」
「せやから夜に鳴くんやろか。虫さんも考えましたなぁ」
「明石は意外とロマンチックなんだね?」
「ろまん……何やらわかりまへんけど、失礼なこと言われてるんはわかりましたわ」
「いやいやとんでもない。褒めてるんだって!」
「さあどうでっしゃろなあ……」
 そこから自分らは他愛のない話をした。蛍丸の今日一日のおかわりの回数と量についてと、国俊が襖を閉める音がやたらうるさいこと。それらをどこか上の空で話しながら、自分はどのような態度をとるべきかずっと考えあぐねていた。
「はぁ……虫だって必死こいて求婚しているのに、私ときたら」
 主はんは酒のせいか段々愚痴っぽくなってきていた。そろそろ止めなければ、と思った瞬間、何を思ったか彼女はぐい呑みを取り上げて中身を飲み干していた。
「ちょお、主はん……! 何してるん!」
 慌てて取り返すが、すっかり空っぽだ。主はんは自分の知る限り大して飲めんかったはずや。こんな無茶な飲み方したら潰れてしまう。
「うー……もう一杯!」
「いや、もうそのへんにしとき」
 主はんは仰向けに倒れ込んだ。
「あっはっは。星がぐるぐるするー」
「飲みすぎやろ。待っとき、水を――」
 水を取りに行こうと立ち上がった自分の袖を主はんがつかんだ。振り向くと主はんの決意を秘めた視線とぶつかり、なぜか少し動揺した。
「結婚して、って言ってよ。嘘でもいいからさ」
「……は? 嫌やわそんなん」
 一瞬面食らったけど、思わず拒否が口をついて出ていた。慌てて口を塞ぐが、もう遅い。主はんはその大きな眼をめいっぱい見開いて、こちらを見ていた。
「あ、いや……」
 どうして拒否をしてしまったのだろう。これを受けていれば願ったり叶ったりだったはずだ。だが一度出た言葉は取り消せない。
 しかし、仮にこれを真に受けたとしても、「いい思い出になった」などと流されて終わりだろうということが想像できてしまったのだ。思い出作りに利用されるようなやけっぱちの告白なんてごめんだった。
「そう……」
 主はんは怒るでもなく、伏し目がちに微笑んでみせた。それを見て、体の奥の方がぎゅっと苦しくなった。
「やだなあ。冗談に決まってるじゃない!」
「そんなん冗談で言うことやあらしませんやろ」
「そう、だね……うん……」
 たしなめると、ますます主はんが小さくなっていく。冗談だ、と笑顔を浮かべてはいるけれど、今にも泣き出しそうに見えるのは気のせいだろうか。

「主はん」
 手を伸ばしてその白い首筋にそっと触れる。
「ん?」
「明日、またここに来て下さいよ。そしたら自分から言わせて下さい」
「明日? だって明日は、」
 主はんは目をぱちくりと瞬かせ、少し考えてから質問で返してきた。
「なんの日か知ってる?」
「……知ってますよ。散々騒いどって知らんことあるかいな」
 明日は主はんの誕生日。齢三十になる。みんな張り切ってこの日のために準備しているのだ。純粋に祝いたい者、からかい半分同情半分な者とか、とにかくお祭り騒ぎをしたい国俊みたいなんとか、動機はさまざまなようだが。
「だって、私は明日で三十になるんだよ」
「せやなぁ」
「なんで……今じゃないの」
「だって主はん酔っ払ってはるし。酒の勢いとか、駆け込みでーとか後々言われたらたまりまへんもん」
「……うわ。思ったよりまともな理由だったー……」
 主はんは顔を覆ってみせた。なんやねんさっきから失礼な。
 そんなん言うなら、こちらも言わせてもらいますわ。
「せやから主はん。明日、誕生日を皆さんでお祝いして、それでも結婚したい気持ちがあったら引き取りますよ」
「喧嘩売ってる?」
 冗談めかして言ってみせる。案の定主はんは憤慨したけれど、やがてそれは笑顔に変わった。
「いやいや滅相もない。自分、子守も得意ですし? 今なら蛍丸と国俊もついてきてお買い得やで」
「そうだった……! 子持ちだったよこのヒト……。確かに愛染くんと蛍くんはいい子だけどさ!」
「せやで。ええ子やろ? 何か問題でも?」
「子持ちを当然のようにアピールしてくるなんて……君は立派な保護者だったんだね……」
「ちぃと意味がわかりまへんけど、蛍丸と国俊をないがしろにするようならこっちから願い下げやからな?」
「知ってた……! 明石って家族思いのいいヒトだよね……」
 褒められて面食らうが、平静を装う。
「ええんですか主はん、働かん刀が相手で。後悔しても知らんで」
「アピールしたいのかしたくないのかどっちなんだよ!?」
 主はんの軽快なツッコミについ笑みが漏れる。
「っはは。さぁ……どっちやろなぁ」
「さっきからひどいね! いくらイケメンだからってねえ、婚活市場じゃあ君ははねられておしまいだよ!?」
「はあ。別に婚活市場とやらでどうこうする気はありまへんけど」
 婚活市場とやらに興味はなかったけれど、おそらく主はんは人を値踏みするような場にさらされて、傷つき、疲弊してしまったのだろう。それでこの頑なな態度かと、少しばかり同情した。
「別に大勢の人に認めてもらえんでも、一人に認めてもらえばええんちゃいますの」
「ううっ……!」
「どないしたん」
「胸が苦しい……」
 突然胸を押さえて苦しみだしたから悪酔いでもしたのかと焦ったが、要約すると「うちの明石が思ったより男前なことを言って胸が苦しい」らしい。なんだか褒められているのか馬鹿にされているのか微妙な気分だった。
「はあ。なんやらすんまへんなあ」
「くっそー……やる気ないとか言うから騙されてたよ! おまえ思ったより男前じゃんかよ……」
 主はんはふらつきながら立ち上がった。
「いいよわかった、本気にしてやるから! それでのこのこ顔を出した惨めな三十路女をあざ笑っていればいいんだ!」
 なんでそうなるのか。フォローする間もなく、主はんはそのまま駆け出してしまった。「ばーかばーか! 明石のアホー!」などと程度の低い捨て台詞を吐きながら。
「あざ笑ってほしいっちゅうならそうしますけど……」
 じわじわと顔が熱くなってくる。自然と笑みがこぼれ、それを隠すように眼鏡のつるをおさえる。こんな顔、誰にも見られなくて本当によかった。
「あかんやん……こんなんで本気になってしもうてどないしますのん」
 立ち上がって伸びをする。主はんにああ言った手前、準備をしなければならない。
 押入れに突っ込んだままの紅の薔薇はもう役には立たないだろう。それでなくても、他人から押し付けられたものをそのまま使う気にはなれなかった。ぷろぽおず、とやらには何を準備すればいいのだろう。やはり薔薇の花か。加州はんの揃えた七本に意味があるのかは知らないけれど、今更ながら少し興味が湧いた。
 こんなん柄やないんやけどなあ。
 ま、しゃーない。本気を出すより他ないやんか。


♯ 薔薇7本の花言葉「密やかな愛」「ずっと言えませんでしたが好きでした」