菓子と眼鏡と男と女

 今日は散々な一日だった。
 朝から最前線の戦闘指揮。初期刀には詰められて近侍には叱られ、激務に耐えかねてわずかな休憩時間に万屋に行こうと思い立ち、近侍の目を盗んで通用門をくぐったはずだった。
「護衛もつけずに外出なんて、不用心ですなあ」
「わあっ!?」
 誰にも見つからずに出ることができて気が緩んだ瞬間、背後から声をかけられて飛び上がった。振り返ると、そこには眼鏡をかけた長身の優男がうっすらと笑みをたたえていた。
 明石国行。我が本丸の刀剣男士にして、私の天敵である。何しろやる気ないをモットーとする彼は、私の言うことなど聞いた試しがないのだ。
「あ、明石? なんでここに?」
「なんでもなにも、主はんがこそこそと怪しい動きしてたからやんか。わざわざお一人でどこに行くんやろなぁ……」
 額から冷や汗が流れてくる。目の前の男はにこにこと得体のしれない笑顔で微笑むのみだ。
「いえその、ちょっとお買い物に……」
「近侍もつけずに? 言いにくいようでしたら、自分から報告しときましょか?」
 あっこれはやばい、チクられる。というより恐らく脅迫だ。
「それは……っ。お願い、見逃して……!! ただちょっとお菓子を買いに行きたかっただけなの!」
「お菓子?」
 私は手を合わせて頭を下げた。予想外だったのか、彼はこてんと首をかしげる。
「ほんとに、ほんとにそれだけだから!」
「……なんやお菓子かいな。うちも大食らいの子がおって、おやつをちょうど切らしてたとこなんですわー。いやー助かりますわー」
 あっこれはタカられるフラグがたった。でもこっそり抜け出したことを黙っててもらうにはしかたない。それに万が一見つかっても、護衛を連れていればまだ言い訳も立つ。
「みんなには黙っててよ……?」
「へえへえ。わかりましたわ」
 まさかお菓子を強請られるとは思わなかったが、まあそれくらいなら。そう思ったのが間違いの始まりだったのかもしれない。


 そんなわけで図らずも明石国行という護衛、もとい強請り屋を連れて万屋街にやってきた。
 空は薄い雲が立ち込めていて、時刻はおやつどきも終わろうかという頃。戦争をしているとは思えないぐらい、そこは審神者と刀剣男士で賑わっていて、なかには恋人同士の逢瀬かと思うほどイチャイチャしている者達もいた。私は朝から前線で指揮を出して、重傷者を多数出し、手入れに追われ初期刀からは手厳しく詰められていたというのに。ふつふつと暗い感情が湧き上がってくる。
 アースカラーを基調とした落ち着いた雰囲気のお店に入り、その鬱屈をぶつけるかのように陳列されたお菓子に手が伸びる。ここのお菓子は少しお値段が張るけれど、見た目もかわいくて満足度も高いのだ。
「欲望にかられて、手当り次第に買ってしまうとか……?」
 後ろから投げかけられた煽り文句にまたイラッとしてしまう。うるさいな私はあなたよりめいっぱい働いているんだよ。何の文句があるんだよ。そう思いながら振り向くと、軽薄な笑顔と視線が合う。何を考えているのかイマイチわからない。
「これも頼んますわ」
 そう言って差し出してきたのは、なかなかにお値段の張る焼き菓子だった。しかもファミリーパック。
「ここぞとばかりいいヤツを出してくるね?」
「蛍丸が大の好物なんですわ。たまにしか買えんけどな」
「もう……わかったよ!」
 ひったくるようにカゴに入れ、お会計を済ませる。明石に例のファミリーパックを寄越すと、相変わらずの笑顔で「おおきに」と返ってきた。ともかく、これでみかじめ料を支払った。私達は共犯みたいなものだ。何かあったら道連れにしてやる。

 外に出ると、分厚い雲が空を覆い尽くしていて、これはまずいと思ったのもつかの間。ぽつぽつと雨が降り出してきた。
 慌てて店の軒下に駆け込むも少々濡れてしまった。護衛の明石も付き合い程度に軒先に並ぶが、面倒だというのがありありと顔に出ていた。
「ゲートまで駆け込めば、本丸まですぐだから」
 私は本丸との接続ゲートまで駆け込むことを主張するが、なぜか明石は首を縦に振らない。どうしてこういう時まで主の言うことを聞かないのか。
「主はん、下手に動くのも考えもんやで」
「いやいや、雨宿りなんてしてたらいつ帰れるかわかったもんじゃないでしょ? それこそ何て言われるか」
「主はんは後で初期刀はんに存分に叱られればよろし」
「うっわ。そんなこと言うならさっきの賄賂返してよ! 辻褄合わせまでちゃんと付き合ってくれないと困るんだからね!」
 私がギャーギャーわめいても、明石はそれを聞き流してどこか遠くを眺めていた。これは本当にうちの刀剣男士なのだろうか。いくらナメられているとしても限度がある。
「……もう知らない! 帰る!」
 そう言うと私は近くのゲートに向かって飛び出していった。後ろで明石が何かを言っているが、聞こえない振りをして。

 雨の中、ゲートにたどり着くと接続を開始する。
 一見すると道が続いているように見えるが、ある手順によってゲートを開放し、うちの本丸も含めたいくつかの割り当てられた本丸に繋がるのだ。ちなみにその手順は秘匿されており、審神者にしか教えることはできない。鍛刀や手入れだけじゃなくさまざまな場所に繋がるゲートを開放すること、これも審神者の大事な能力の一つだ。
 周囲の人の少なさに少々違和感を覚えたが、何しろこの雨だ。さっさとゲートをくぐり、本丸に帰らなければならない。
 雨は着実に私の体を濡らしていく。しかし、本丸へ繋がるはずのゲートにアクセスするも、いくら試行してもエラーが返ってくるばかりだった。焦りばかりが募っていく。なにか手順が間違っているのだろうか?
「なんで……。どういうこと……?」
「……言わんこっちゃない。退避するで」
 明石は私の後ろから一連の動作を見守っていたが、手が止まったところで見切りをつけたようで、私を乱雑に抱えると縦抱きで近くの軒下まで抱えて走った。
 雨をしのげる場所まで連れてこられて雑に降ろされるも、私は呆然と座り込んだまま、なんで? どうして? といった疑問が抜けなかった。ゲートが作動しないことがあるなんて。
 雨音がやけに大きく聞こえてくる。
 明石は動かない私をちらりと見やると、上着の内ポケットから端末を取り出して操作し、耳に当てた。
「蛍丸? 初期刀はんおる?」
 どうやら本丸に電話しているらしい。しばらくすると、電話口から割れんばかりの初期刀の声が聞こえてきた。
「どーもー、明石です。今、主はんと万屋街に……ああうん、それは帰ってから本人に言ってくれます? で、本丸へのげーとが……めんてなんす? 緊急の? はぁ〜そら参りましたなぁ……」
 初期刀への通話を聞きながら、なんだか大変なことになっていると察した。私がいないことがバレてしまっていて初期刀はおかんむりだし、ゲートは緊急メンテナンス中につき復旧の目処が立っていないらしい。
 明石は通話を終えると、端末をひたすらいじっている。そういえば、私はすぐ帰るつもりだったから端末すらも持参していないのだ。己の考えの浅さに身を縮こませるしかない。
「ほな行きまひょか」
「行くってどこへ」
「旅籠。ここに突っ立っているわけにもいかんやろ」
「はたごぉ……?」

 さっさと歩き出した明石の背中を追って、私もとぼとぼと雨の中を歩く。
 ぼうっとしていたせいで、旅籠が宿泊施設のことを指すのだということを理解するのにだいぶかかってしまった。
 そんなわけで、のこのこと明石の言うところの旅籠、見た目は現代風のビジネスホテルに来てしまった。ホテルのロビーには、恐らく似たような状況の人達がちらほらとカウンターに並んでいる。私達もそれに並ぶが、カウンターにたどり着いた時には受付の人は困ったような表情を浮かべていた。
「大変申し訳ありませんが、お部屋の空きが……。ダブルルームでしたらご用意が可能なんですが」
「え、」
 ダブルルームということは、ベッドひとつしかないのだ。ちょっとそれは困る、と口を出そうとしたら隣の男が一足早く返事をしていた。
「ほな、それでお願いします」
「ちょ……明石!!」
「何です?」
「そんな勝手に決めないでよ!」
「はあ。それならどうしますのん? 今から他の場所を探すつもりですか」
「だって、まだ復旧するかもしれないし……」
「それで復旧しなかったらどないするつもりなん」
 明石の目がすうっと細められていく。わかっている、他に代替手段なんてないことなんか。ここで断ったとして、もしゲートが本日中に復旧しなかったら雨風をしのげる場所など他にはない。だから明石の先を見据えた行動は恐らく正しいのだと、理解はできるが心がついてこない。
 ホテルの人は困ったようにこちらを眺めていたが、私が折れたのを見てカードキーを渡した。
「ほな行きますよ」
 と、明石はさっさとエレベーターホールに歩いていく。その背中をぼうっと眺めるしかなかった。
 私、主だよね?


 部屋に着いたら、無造作に服を脱ぎだすから私はぎょっとしてしまった。
「ちょ、ちょっと! いきなり何――」
 慌てた私に、明石は呆れたように目を細めて一言。
「……風邪ひきまっせ?」
 そうだよね知ってた! 私と明石の間にはロマンスなんて成立するわけがないんだ。服を脱いだのも、別にいやらしい意味じゃなくて雨に濡れたから着替えるだけ。でも異性の私がいるんだから少しは気を遣ってくれてもいいじゃない? 私何か間違ってる?
 引き締まった背中。すらりとした肢体。ブーツ、上着、シャツと無造作に脱ぎ捨てていき、チョーカーやリストバンドといった細かい装飾品もひとつひとつ取り外していく。そしてとうとう地味な色の下着と胸のバンドを残すのみとなって、私は目をそむけた。
 というか主の前でパンツ一枚になるとか、どういう神経してるの? なんで胸のバンドはしたままなの? なんなの??
「湯浴みせんでええんですか?」
 洗面所からタオルを取ってきて、自身も頭を拭きながらこちらに一枚渡してくれた。一応気を遣ってくれたつもりらしい。
「あっ……ハイ……いただきます……」
 釈然としないながらも、私は逃げるようにバスルームに向かった。温かいシャワーを浴びて、冷え切った体は体温を取り戻す。だんだん現状を把握してくるにつれて大きなため息が出た。
「はぁ……」
 なんでよりにもよって明石と一緒に一晩過ごさなければいけなくなったんだろう。もう少し話せるメンツだったら、と初期刀や気心の知れた面々を思い浮かべるがどうにもならない。そもそも無断で外出しようとした私がいけないのだ。
 シャワーからあがって、のろのろとホテルの浴衣を羽織る。洗面所からそっと部屋をのぞくと、下着の上にぺろっと浴衣を羽織っただけの男が窓際のソファに腰を掛け、買ったばかりのお菓子をあけていた。半裸の美丈夫がファミリーパックのお菓子を貪っている。この状況をどう処理すればいいのか。めまいがしてくる。
「……そないなとこで見てないで、さっさと出てくればよろしいですやん」
 こっそり見ていたつもりがとっくに見つかっていたらしい。なんだか出ていきづらくて、私は洗面所から顔を出したまま会話を試みた。
「それ、食べちゃうんだ」
 てっきりお土産にするのかと思っていた。
「腹が減ってはなんとやら、言いますやん」
「うん、まあそうなんだけど……」
 彼はお菓子をあらかた食べ尽くすと、指先をぺろりとなめた。蛍丸のために買ったのではなかったのか。
 ちなみになんで出ていきづらいかというと、明石のその服装のせいである。が、彼はこちらの気も知らず、すっと立ち上がるとだらしない浴衣姿のままこっちに向かってきた。せめて前は閉じて! お願いだから!
 そんな私とは裏腹に「空いたんならさっと代わってくださいよ」と私に構うでもなく、さっさと浴室に入ってしまった。うん……知ってたけどさ。私は肩を落としながら入れ違いのように窓際のソファに座り込んだ。どっと疲れが襲ってくる。
 明石に倣うわけではないけれど、私も買ったお菓子をあけてもそもそと口にした。待ちに待った大好物のはずが、なんだかとても味気ない。本当なら、今日の任務を力技で終わらせた後、みんなが寝静まってから悠々と自分へのご褒美として味わうつもりだったのに。こんなその場しのぎの食料として消費させられることが悲しかった。
 バシャバシャとシャワーの水音が聞こえてくる。美丈夫が壁一枚隔てた向こう側で、一糸まとわぬ姿でシャワーを浴びているのだと思うと、なんだかとても妙な気持ちになる。じわじわと顔が熱くなってきて、私はいったいなんて想像をしているんだ、と慌てて首を振る。
 彼が私にどういう感情を持っているのか、私は何も知らない。そもそも主として認めてもらっているのかどうかすら怪しい。
 狭い部屋。一つしかないベッド。
 そして部屋を同じくしているのは、私に全然忠実でない刀剣男士。
 今更ながら自分の置かれている状況をようやく認識しはじめ、これはマズイのではないかという考えに至った。我ながら遅すぎる。
 ……いや、ないない。だって部屋に入った瞬間からチャンスはいくらでもあるはずなのだ。それなのにあの塩対応、到底気があるとは思えない。そう思うけれども、それもそれで少し傷つく。この微妙な乙女心というものを察してほしい。
 体はぐったりと疲れていて、ベッドに横たわって眠りについてしまいたい。そんな誘惑にかられるも、私はそれを実行することができなかった。


 やがてシャワーの水音が止まり、浴室のドアが開く音が聞こえた。まるで死刑宣告を告げられる時のように、私は緊張しながら待つしかない。
 ぐしゃぐしゃとタオルで髪を拭きながら、今度はきっちりと浴衣の帯まで締めた明石が現れた。ゆるやかな長い前髪は無造作に流されている。眼鏡越しに薄い緑色の瞳と目が合って、ドキッとしてしまう。
「起きてはったんですか。先に寝ててもよろしかったのに」
「いや、だって……明石はどこで寝るの?」
 私の問いに、彼はベッドを指差す。ほら、やっぱり危なかった!
「そんなの無理に決まってるじゃない!」
「そう言いましても、お布団は一つしかないんやからしゃあないですやん」
 明石をにらみつけるが、彼はしらっとそれを受け流して、それどころかまるで聞き分けのない子を諌めるように言い返してきた。なにこれ? 私が悪いの?
 お布団に同衾だけは何があっても回避したい。しかし自分だけベッドで寝て刀剣男士に待機を命じるのも寝覚めが悪い。それに明石はそんな命令を聞くようなタマだとは思えなかった。どうすればいいのか。もはや詰んでいるようにしか思えない。
 まごまごしていたら、明石が小さくため息をついた。
「こんなん譲り合っててもしゃあないやん。ほなお先に失礼しますぅ」
 そう言って明石はするりとベッドにもぐりこみ、こちらに背を向けたまま静かに寝息を立て始めた。
「うそでしょ……?」
 信じられない。主である私を差し置いてさっさと一つしかないベッドに入り、あまつさえ寝に入ってしまうのだから。
 私はひとりがけのソファに座ったまま、膝を抱えた。ホテルの空調はよく効いていて、少し肌寒くさえある。安いビジネスホテルには毛布のような気の利いたものはなく、温かそうなベッドとかすかに上下する背中を恨めしく眺めた。
 クーラーの通風口からはごうごうと無機質な音が聞こえ、せっかく温まった体がだんだん冷えてくる。
 疲れも相まって目はとろんと垂れ下がり、思考力が落ちてくる。どうして温かい寝床がすぐそこにあるのに、そこに勝手に潜り込む輩がいるのだろうか。主なのに、自分の刀剣に遠慮してソファなんかに座っているなんておかしいじゃない。私は審神者だよ? 刀剣男士を従える主なんだよ?
 彼はセミダブルベッドの壁際に横たわっていて、手前に一人分の空間を空けてくれたつもりらしい。私はその誘惑に負けてしまいそうだった。
 大丈夫、だよね。
 隅っこに入るだけなら。
 明石もぐっすり眠っているみたいだし。
 意を決して、掛け布団をめくりそっとベッドの隅に滑り込む。明石のくせっ毛と意外にも大きな背中を眺めながら、温かいぬくもりに包まれてなんだか気が抜けてしまったらしい。急激に眠気に襲われ、私はあっという間に眠りに落ちた。
 だから私は気づかなかったのだ。すやすやと規則正しい寝息を立てている彼が、眼鏡を外していないということに。


 ――あきませんなあ。男と女が同衾して何も起こらんと思っとったらあかんで。油断大敵や。
 頰をくすぐるような感触とともに、そんな声が聞こえたような気がした。