壁の花、花になる 3

「どーもすんません。お待たせしてしまいましたか」
「いえ、今来たところです」
 次の日の夜、勤め先の最寄りの駅前で私達は集合した。
 明石さんが私を見つけて手を振り、少し早足になって目の前まで歩みを進めてくる。いつか妄想していた景色が目の前に現れて、夢を見ているみたいだった。
 なんだかデートみたいだ、と浮ついてみるけれど、これはデートではなくアリバイ作りだ。
「写真を何枚か撮らせてもらえると助かりますわ。合コンとかも断りやすくなるんで」
 私の写真をいくつか撮って、同僚にチラ見せする程度に使うのだという。要するに恋人のふりだ。接点の薄い取引先の相手から、恋人のふりをするところまで距離が縮まり、この時の私は浮かれてすらいた。
「何か食べに行きましょか。奢ります」
「いいんですか」
「ええって。頼みごとさしてもらったのはこっちですし」
 お言葉に甘えて奢ってもらうことにする。
 たどり着いたのは落ち着いた居酒屋だった。店員に案内され、こじんまりした個室に近い席で向かい合って座る。お酒も種類があるけれど、何よりご飯がおいしそうなのが嬉しい。
「何がええ? ノンアル?」
「あっ、そうですね……」
「せやったらこのへんかなあ」
 メニューを渡される。ジュースを数種類混ぜたようなノンアルコールメニューも豊富で、目移りしながらピーチとオレンジのカクテルを模したアンファジーネーブルを注文する。
「明石さんは?」
「自分はビールで。後はつまみと……何にしまひょか」
「そうですね……お刺身がおいしそうです!」
「ええで。盛っときまひょか」
 へらへら笑いながら舟盛りを注文する。他にもいくつか料理を注文して、程なくして飲み物が到着した。
 おざなりに乾杯をし、明石さんはお通しをつまみながらビールをあおった。なんだか夢みたいだ。そういえば明石さんは左利きなんだな、と箸を持つ仕草につい見とれてしまう。
「良かったんですか、私で」
「ええんです。社外の人やったら口うるさく言うてくる人もおらんやろうし」
「はぁ……大変なんですねぇ」
 彼は恐らくモテるのだろう。前回の合コンでも、今回の合コンのお誘いでも、彼は注目の的だった。
 そんな明石さんが私を選んでくれて光栄なことだ。弾除けになれるかどうかわからないけど、恋人のふりをして欲しいというならお受けしよう。胸のもやもやに気づかない振りをする。
 やがて料理が運ばれてきて、私達は雑談もそこそこにご飯をつまんだ。
 意外なことに、鶴丸さんとは元々大学の同級生だったらしい。
「それはすごい偶然ですね!」
「まぁ偶然、ちゅうか。お互いに違う会社に就職して、ようやく縁が切れたな〜思たら、新規事業をやろうって時に鶴丸さんが都合よく自分のことを思い出しはったらしいですわ。おかげで仕事が増えてもうて夜しか寝られへん」
 つまり明石さんは鶴丸さんとの縁で弊社と繋がりが出来て、そしてあの合コンに繋がったというわけだ。
「いつも鶴丸さんは打ち合わせの時楽しそうにしてるなぁと思ってたんです」
 そう言うと、明石さんはしかめ面で「えぇ……」と言った後笑顔を見せた。
「あの人は大学の頃から有名人で、創立者の像を飾り立てて怒られたりいろんなことをやらかしてましたなぁ」
 今は社会人なのでだいぶ落ち着いているけれど、その様子がありありと想像できてしまい苦笑する。
「鶴丸さん、面白いことに目がないですもんね……。会社の忘年会でも、マイクを手放さないですし」
「ああ……いかにもやりそうなことですわ。調子乗ってたら叱ってやらんと」
 明石さんのしみじみした口調に、つい笑みがこぼれる。本当に仲がいいんだなあ。
 揚げ出し豆腐をつまみ、ぱく、と口に入れる。明石さんはおもむろにスマホを取り出した。
「おいしそうに食べてはりますね」
「えっ、そんなとこ撮ってるんですか」
「いやいや可愛らしくてええと思います」
 じわじわと顔が熱くなる。この人は何を言っているのだろうか。勘違いしてしまいそうだ。
「いいんですか揚げ出し豆腐の写真で。どうせだったら、もうちょっとかわいいものを写したほうが」
 いくらなんでも揚げ出し豆腐を食べているところを他人に見せつけるのには抵抗がある。偽装するならもうちょっと見栄えを盛ってほしい。
「ほなデザートでもいっときます?」
 と、メニューを手渡される。アイスクリーム、あんみつ、どれもおいしそうだけど、メニューの中でもひときわ大きい写真のそびえ立つパフェが目に留まる。
「これすごい……! 苺とアイスと生クリームと、メロンが乗ってて、花火が刺さってる!」
「ホンマや。オモロイやん」
「うーん、でもどうしようかなぁ……」
「何を悩んでるんです」
「食べすぎちゃうかな、と思って」
 まさかカロリーを気にしているなんて今更すぎる話で、ちょっと言葉を濁した。
「それやったら食べてから考えればええ話ですわ」
 明石さんはさっさと店員を呼び止めて注文してしまった。
「明石さんはデザートはいいんですか?」
「甘味はビールには合いませんからなあ」
 しばらくしてパフェが運ばれてきた。メニューの通り、花火が刺さっていて火花を散らしながら運ばれてきたものだから、私達は笑ってしまった。
「す、すごい……本当に花火が……!」
「あっはっは。景気ええなぁ」
 せっかくなので写真を撮る。そびえ立つパフェの片隅にちらりと明石さんの筋張った腕が写り、匂わせ写真みたいなものが撮れてしまった。
 ドキドキしながら、本人に気付かれないようにスマホをしまう。自分は投稿したことはないけれど、今ならこういう写真をSNSにアップロードして自慢したくなる気持ちもわかる。
「花火もすごかったですけど、おいしそうですね」
「ほんならおいしそうに食べる様子をリポートして下さい」
 そう言って彼はスマホを構える。私はすっかり気が緩んでしまい、笑いながら乗ることにした。
「はい、じゃああの……クリームからいきたいと思います。ん〜……甘い! これはおいしい!」
 実況としてはど素人もいいところだったけれど、明石さんはにこにこしながらスマホを向けている。
「えっもしかして動画ですか?」
「まあまあまあまあ」
 覗き込もうとするけれど、席の向かい側なので適当にかわされてしまった。まあ大した内容じゃないのだけれど、彼女のふりというだけならここまで撮らなくても、画像だけで充分じゃないだろうか。
「SNSとかに載せないで下さいよ?」
「あーそれは大丈夫ですわ」
 個人的に楽しむだけなんで。そう呟いた明石さんの言葉を拾い、頭の中にハテナマークが浮かぶ。個人的に、はまだわかるけれど、楽しむ、って何?
 彼はスマホをぽちぽちいじっている。何だろうと思っていたら、ロック画面においしそうなパフェと、それを食べようとする私の画像を設定しているのが目に入った。
「ええっ!? ちょっと……!」
 動揺してスマホを奪おうとするが、それよりも早くスーツの内ポケットにしまい込まれてしまった。
「ええですやん。これやったらさりげなく目に入るし、アピールとしては完璧やな」
「それは……そうですけど……!」
 やり込められてしまい反論できない。確かに唐突に写真を見せて回るよりは、ロック画面がちらっと見えるほうがやりやすいだろう。でも、いくらなんでも恥ずかしい。

 結局パフェはぺろりと平らげてしまった。
「ええ食べっぷりでした」
 と褒めているのか微妙なラインのコメントをいただき、恥ずかしくて顔を隠す。
「違うんです……! こんな食べきるつもりはなかったんですけど、つい……おいしかったので……」
 欲望に負けてしまったのだ。引かれたに違いない、とチラ見すると、ニコニコ顔の明石さんが私を見て言った。
「いっぱい食べて大きくなりや」
 まるで子供におやつを与えている保護者のような言い方で、私は赤面してしまった。

 お会計を済ませ、お店の外に出るとそこはネオンの輝くいつもの駅前だった。けれど、明石さんといるとなんだか特別な景色に思えてくるのだから不思議だ。
「ごちそうさまでした。楽しかったです」
「そら良かった」
 ゆるりと会釈をして手を振る明石さんを見ていると、やっぱり好きだなあという気持ちがじわじわ湧き上がってくる。しかしこれはデートではなくただのアリバイ作りなのだからこれ以上を望めるはずかないのだ。
 改札で別れ、帰りの電車に乗った。
『今日は楽しかったです。機会があったら、また誘って下さい』
 メッセージを送る。社会人生活で身につけた、社交辞令ともとれる精いっぱいのラインだった。
『ほな、また』という簡潔なメッセージとともに手を振るキャラクターが送られてくる。
 今日はとてもいい思い出になった。楽しかった、なあ。
 しかし、彼と離れて気持ちが落ち着くにつれて、心の奥で蓋をしていた気持ちがもやもやと顔を出す。
 これはただの都合のいい女だ。
 あんなに簡単に安請け合いするんじゃなかった。私に勇気があれば、恋人の振りじゃなくて本物の恋人にしてほしいと踏み込むこともできたかもしれないのに。だが、後悔してももう遅いのだ。



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