逆転勝利S

思いのこもった箱はそっと来派部屋の前に置いてきた。
無記名の小箱だ。例え誰かに中身を食べられても、捨てられたとしても、諦めがついた。来派の子供達に分け与えられたとしても、それでもよかった。
とにかく小心で卑怯者の自分は、その結果を知ろうともせず、ただ一方的な思いを押し付けて去ったつもりだった。
それなのに。
「どーも、すいまっせん」
その本人が小箱を持ってやってくるなんて思いもしないじゃないか。
「ど、どうしました……?」
私は明石国行を直視することもできずに、とりあえず迎え入れる。彼は遠慮がちに、そして持ち前のしなやかな所作でするりと上がりこんできた。
「いやぁ、自分とこの部屋の前に不審な箱が置いてありましてなぁ。主はん、これは何なのか知ってます?」
「それは……バレンタインのお菓子、じゃないですか」
不審な箱という言い方にぐさっとくるものはあったけれど、私は観念して白状した。名前も目的もわからない物は確かに不審な物には違いなかった。
明石はわざとらしく感心してのけた。
「ばれんたいん、というのは南蛮の行事のことやったかなぁ」
「そうですね」
「主はんからは『皆さんへ』ちゅうて一律でちょこれいとを頂いていたと思うんですけど」
「……そうですね。渡したと思います」
「そしたら、この箱はどこの誰から誰宛の物なんやろなぁ……」
まさかこんな風に追及してくるなんて予想の範囲外だ。私は顔を抑えながら、どう答えたものかと考えていた。
「にしても不思議やなぁ。開けてもいないのに、主はんはなんでこれがばれんたいんやと知ってたんやろ」
言い訳する以前に、しっかりとツッコまれた。
「……いや、だってかわいくラッピングされているし」
「せやなぁ。こういう色紙と紐を使う人はうちの本丸にはあんまりおらんなぁ」
「そう、ですかね……」
「まぁー自分の知ってる限りでは」
――主はんぐらいやと思いますけど。
そう彼は言ってのけた。
全部見抜いた上で、彼は追及してきたのだ。
私は頭を抱えるしかない。もはや相手の顔を直視することもできないでいる私に、明石はさらに迫ってきた。膝を詰めて、じりじりと寄ってくる。私は腰を降ろしたまま、逃げることもかなわない。
私は顔を覆い隠したまま、深々とため息をついた。
「なんで聞きにきちゃうのかなぁ……」
「いや、なんでって。そらまぁ、一応な?」
「しかも一個一個理詰めで」
明石は笑っている。
「まぁ、うちの子達に怪しいもんを食べさせるわけにはいきまへんからなぁ」
「確かにね。そんなに怪しくはしないようにしたつもりなんですけどね」
へらへらと言うわりには冷静に物事を見て判断している。そういうところだ。それがきっかけで彼のことが気になりだしたわけだけれど、審神者という立場上やすやすと思いを伝えるわけにはいかなかった。
だからこっそりとチョコレートを置いてきたのに、明石はわざわざ確認するために私室に乗り込んできたのだ。
「開けても?」
「……いいですよ」
ここで開ける気なのか。こういうのはこっそり食べるものじゃないのか。まぁバレンタインの習慣に疎いだろうから仕方ない、のかもしれない。
もやもやする気持ちを尻目に、彼はラッピングを解いていく。やがて蓋を開けると、彼は「おー」と声をあげた。
「なるほどなぁ。主はんらしいわ」
「どういう意味ですか」
「わざわざ三人でわけられる数を用意してくれはったんやなぁ」
なんだか品評されているみたいですっきりしなかったけれど、その意図を見抜かれてしまい言葉もない。これは来派の皆さんで召し上がってください、とすればまだ言い訳もたつのだ。普通の義理チョコとして消費されてしまえばそれでおしまい。そんなギリギリのラインを狙ったチョコレートだった。
明石はチョコレートを一つつまんで、しげしげと眺めた。数あるアソートの中から、よりにもよって赤いハートのチョコレートをつまみあげ、興味深そうに見ている。まるで自分の中の秘めた思いが無遠慮に晒されたような気分になって、ぎゅっと身を縮こませる。
「主はん、今更ですけどこれは自分宛でええの?」
「……そうです」
彼はじろりと剣呑ともいえる視線を寄越し、私はうつむいたまま観念してうなずいた。
来派の皆さん宛、などとのたまえば上手く逃げられたかもしれない。けれど、せっかく真正面から問いかけられたのに誤魔化すのは嫌だと思ったのだ。
「ほぉん」
よくわからないような返事をして、明石はチョコレートを口にした。ぱき、もぐもぐと咀嚼する音がやけに大きく響く。
「甘ぁ……」
口の端を歪めて舌の端をぺろっと出すのを見て、緊張の糸がぷつりと途切れた。
「文句言うなら返してくださいよ」
そう言ってチョコレートの箱を奪い返そうと掴みかかる。卑怯者が策を弄して、なんの気もない風を装って、その実怨念のような思いが込められたチョコ。まるで自分の思いが重すぎるのだと揶揄されたような気がして、ついかっとなったのだ。
明石はひょいと箱を持ち上げて難なく私の手をかわした。
「……いやいや。これは自分がもろたものですし」
「いや! 返して!」
「ちょ……」
明石は立ち上がろうとするが、なおも必死になって掴みかかると、ぐらりと体が傾いだ。そのままもつれ合って倒れ込む。彼は尻もちをつき、そして無様にも私の体が重なった。
箱は彼の手から離れ、チョコレートがばらばらと床に転がった。
「……ちょこれいと、落ちてしまいましたやん」
「ごめん」
彼のマイペースっぷりに幾分か冷静になり、私は起き上がった。あれだけうじうじしていた割に随分大胆な行動をしたものだ。
顔が熱くなるが、あれはただの事故だった。その証拠に、目の前で転がっている明石もいつも通りだらけた表情で何の反応も示さないじゃないか。
萎れた気分になりながら落ちたチョコレートを拾い集める。さすがに落ちた物を渡す気にはなれないし、彼も食べないだろう。結果的に自分の言った通りになってしまった。
惨めだった。どうしてチョコレートなんて渡そうかと変な色気を出してしまったんだろう。
「……ああ、落としてもうたもんは蛍丸や国俊にはやれんなぁ」
「そうですよね、すみません」
蓋をして箱を下げようとするが、真正面から腕が伸びてきて掴まれた。
「これは自分が引き取ります」
「は? いや、ちょっと」
話が違う。
箱の引っ張り合いになるが、女の腕と刀剣男士では勝ち目があるはずがない。しまいには半ば無理やり引きちぎるようにして奪い取られた。
「どーも、おおきに」
彼は部屋を出ていった。ドヤッと勝ち誇った顔の明石を呆然と見送るしかない。
私は両手を床につけながら、感情の処理が追いつかないでいた。
今の今まで負け戦をしていたはずだった。ちくちくと誰宛のチョコレートか問い詰められ、なめるように見られた後は甘いと文句を言われ。
しかしチョコレートは貰っていくと言い、挙句の果てにはあのドヤ顔である。
あれ? もしかして成功してない?
今更ながらじわじわと顔が熱くなってくる。よくよく考えたら、わざわざ誰宛の物か聞きに来てくれたのではないか。そう思うと、わかりにくいながらも彼の行動は好意を示すものではなかったか。
極めつけは「蛍丸や国俊にはやれない」である。確かに落とした物ではあるけれど、お団子なんかは自分のぶんも彼らに分け与えている明石がチョコレートを一人で全部貰っていくなんて思いもしなかった。
どうしよう、今夜は眠れない。