不器用な恋文

*審神者亡くなってます


 審神者が死んだ、との報を受けたのは遠征から帰ってきてからのことだった。
 突然の出来事であった。
 審神者は厠で胸を押さえたままうずくまっていたらしい。当時近侍を務めていた刀によると、審神者がなかなか帰ってこないと気を揉んでいたが、厠だからと声掛けをためらった。それで発見が遅れたのだ。
 本丸内は大混乱に陥った。当然だろう、今まで大黒柱を務めていた審神者が身罷ったのだ。近侍を務めていた刀は自らを悔いて自刃しようとし、周りはそれを止めるために彼を数人がかりで押さえつけた。やがて初期刀や初鍛刀といった刀が中心となり、政府への連絡や手続きに奔走したらしい。その間遠征中の部隊は放り出されたまま、何も知らない自分たちは呑気に資材を集めていた。
 そして通夜を迎える時になって、ようやく自分達の隊が呼び戻されたのだ。普段使われたことなどない伝書鳩に驚きながら帰還すると、さながらそこは地獄の様相が広がっていた。
 写真に映る審神者は柔らかい笑みをたたえていたけれど、現実の彼女の顔には打ち覆いの布が掛けられ、生者の気配は感じられない。
「あっけないものだね」
 幾多の人を斬ってきた刀が言う。
「人としてはまだ若いのだろうに」
 千年もの時を重ねた刀がつぶやく。
 死体は見慣れたはずだった。刀として、いくつもの生と死を見続けてきたはずであった。
 すすり泣く短刀を眺めながら、自分はどこか呆然としたまま、この底しれぬ喪失感の正体を掴めずにいた。


 身寄りのない彼女らしく、葬儀は本丸にてつつがなく執り行われた。
「主様は絵がお好きでしたから」
 審神者が荼毘に付され、短刀が故人を偲ぶように絵が描かれた紙を取り出すのを見て、皆、我も我もとその絵を眺めた。
 それは刀剣男士の絵が描かれた紙だった。柔らかなタッチで笑う前田と乱、秋田の表情が描かれている。
「僕も持ってます!」と各々が部屋から持ち寄り、それぞれを見比べながら皆、思い思いに故人との思い出を語っていく。
「ねえ、俺愛されてたって思っていいのかな」
「あの人も不器用な人だったんだよね」
 加州と大和守がお互いの絵を見比べ、不器用な笑みを浮かべる。和やかな空気が広まる一方、自分はどこか冷ややかな気持ちでそれを眺めていた。
「じゃじゃーん。来派の絵でーす」
 蛍丸がまだ涙の残る顔で紙を広げると、来派の三人の姿が柔らかいタッチで描かれていた。おどけたポーズをとる蛍丸、うちわを持って笑顔を見せる愛染国俊。しかし自分の姿は彼らの後方で表情を隠してたたずむばかり。
「なんだよ。国行ももっとでっかく描いてもらえばよかったのになー!」
 愛染からバシバシと背中を叩かれる。
「おあいにく。自分はそないな御大層なもんは戴きませんでしたわ」
 自分の姿が描かれた絵は、蛍丸が持っている一枚きり、手元にはない。その程度の間柄なのだ。愛染国俊からの指摘に肩をすくめるしかなかった。


 遺品の整理は初期刀と初鍛刀他、親密な刀を中心に行われた。
 物静かであまり多くを語らない審神者だった。主人不在のこの部屋を片付けるということは、彼女のプライベートを暴いてしまうということに他ならない。しかし、誰かがやらなければいけない。
 文机の引き出しの三段目に違和感がある、と言ったのは誰だったか。
「妙なんだ。引き出しの高さに対して、中はそれほど深くない。まるでその下に空間があるような……」
 歌仙兼定がそう言いながら引き出しの中を探ると、中底に隠されたもう一つの空間が現れた。
「文箱です!」
 秋田が机から出てきた箱を大事そうに抱え、大広間に持ち込む。引き出しの隠し底から出てきたとあって、遺書か、はたまた恋文かと本丸の中がにわかに騒がしくなる。かくしてそれは慎重に開けられた。
 それはスケッチだった。なんのことはない審神者の趣味。それが明石国行の昼寝姿を描いたものであったことを認めると、その場はざわついた。
「なんだって主はこんなものを二重底に隠したんだ?」
 そういってけらけら笑っていた者たちも、二枚、三枚と彼の寝姿を描いたものが発掘されるにつれ、静かになっていった。普段のにぎやかで優しい本丸を描いたタッチとは違い、それは熱のこもった、ある種の情念にあふれていたからだ。眠りこけた明石の唇の艶、まつげのひとつひとつまでつややかに描かれたスケッチを見て、誰かが息を飲んだ音が聞こえた。
「こいつは驚いたな。あの娘にもこんなに情熱的なところがあったなんてな?」
「口ほどに物を言う、ってね。ふふっ、絵のことだよ?」
 鶴丸と青江に冷やかされ、当の明石は「……いや、知らんし」と返答するのがやっとだった。


 鶴丸に茶化されてとっさに否定したものの、本当は気づいていた。ただ、あの絵はとうに捨てるなり何なりされてしまったものだと思って、記憶の片隅に追いやられていたのだ。
 本丸をそっと抜け出して、裏の築山へと向かう。
 あの時もこんな春の日だった。
 明石にはお気に入りの昼寝の場所がいくつかあった。特に桜の木の下は絶好の昼寝ポイントであった。そこで気持ちよく寝こけていると、いつの間にか審神者が傍にやってきて何かを熱心に書きつけているのだ。
 彼女は描き上げた絵をプレゼントしてくれるわけでもなく、絵を通して話しかけてくるわけでもない。ただ用が済むとそそくさと去っていく。どうやら気づかれないようにこっそり描いているつもりらしく、それが逆に明石の興味を惹いた。
 好奇心に任せて一度聞いてみたことがある。
「……自分なんぞ描いても、別におもろいことなんてありまへんけどなあ」
 寝こけた振りをして、目をつぶったまま語りかけたのだ。息を飲む音が聞こえ、ゆっくりと目を開くと、驚いた表情の審神者と目があった。
「……びっくりした。寝てたと思ってたから」
「何やら書きつけている音が聞こえまして」
「あ、うるさかった? ごめんね……」
 審神者はそそくさと筆記用具をしまい込む。そのまま立ち上がる審神者に声をかけた。
「なんで自分なん? もっと見栄えのする刀なんていくらでもおりますやん」
「ああ、うん……。他の子はいくらでもポーズ取ってくれるんだけど、自然体で寝てるのは君ぐらいだし……その、」
 審神者はしばらく言いよどんだ後、思い切って口にした。
「綺麗、だったから」
 それに対して自分は大した反応はしなかった。たぶん「はあ、それはどうも」とか何とか適当な相槌を打った気がする。
 今思えばそれは彼女の決死の告白だったのだろう。それを明石はさらりと受け流し、深追いすることもなかった。彼女からその後何か言ってくることもなく、ごくたまに昼寝中遠くから視線を感じるだけ。そんな関係のはずだった。はずだったのに。審神者が逝き、残された者たちで彼女の引き出しを開けてしまった。鍵をかけ、二重底にまでして誰にも知らせず奥底に秘めていた感情を暴いてしまったのだ。
「なんで今……なんやろなあ……」
 春の日だった。ひらひらと舞い散る桜も、あの日と何一つ変わらない。審神者が死んでも、本丸は何一つ変わることなく続いている。
 明石は眼鏡を外し、目元を袖で拭った。幸いなことに、近くには誰もいないようだった。
 本丸からはにぎやかな声が聞こえてくる。涙を湛えながら見送る者、酒盛りをしながら故人を偲ぶ者、とさまざまだった。正直あのような絵が出てきたからにはもっと色々な刀から絡まれるかと思ったが、思いの外すんなりと一人になることができた。どうやらそっとしておいてくれたようだった。
 彼女はどうして逝ってしまったのだろうか。
 人間としてはまだまだ若かったはずだった。ある日突然心臓の発作が起こることなんて、誰にでも起こりうることだ。そうは思っても、一度感情を得てしまったこの体では到底納得できることではなかった。ましてやあのような好意が露呈してしまった後では。
 自分は今、彼女からの好意を持て余している。
 この不器用な恋文を突き返すにしろ、ありがたく受け取るにしろ、それを返す相手がもういないのだ。
 それからしばらく、明石は地べたに座り込んだまま春の霞がかった空を眺めていた。遠くの山の輪郭がぼやけている。案外、黄泉の国とやらはあんなところにあるのではないだろうか、などととりとめのないことを考える。
 桜の花びらが音もなく落ちていく。
「おぉーい! 国行ぃー!」
 遠くから愛染の声が聞こえてくる。愛染一人にしては足音がパタパタと大きく、一人分の気配ではない。恐らく蛍丸も一緒だろう。
 明石は改めて眼鏡をかけ直すと、愛染の声がした方に振り返る。
「……なんつー顔してんだよ」
「なんや、寝跡でもできとったかなぁ」
 明石は茶化して答えるが、愛染にがっしと肩を組まれた。続いて蛍丸までも懐にしがみついてくる。
「悲しい時はなあ、泣いてもいいんだ!」
「国行、これが悲しいってことなんだ」
 普段は勝ち気な愛染が、顔は笑ったまま涙をこぼしている。蛍丸も顔こそは見せないものの、ぎゅっと懐に顔をうずめたまま動こうとしない。
「なんやなんや……甘えん坊さんやなあ……」
 明石は愛染と蛍丸をいたわるように撫で、再び眼鏡を外した。本音を表に出すのは得意ではないが、今ばかりはこのような姿を見せても許される気がした。


# 葬式にくるはがね
タグに参加しようと思ったんですが主旨とずれてきちゃったので供養。