七夕の話


 仕事も終わり、夕飯時。
「主はん、今日は七夕なんで願い事でも書いてやって下さいな」と短冊を片手に上がりこんできたのは、明石国行である。
「そうか、今日は七夕なんだっけ。うーん願い事かあ」
 日々の任務に追われて、そういった思いを抱く余裕をなくしていた事を思い出す。審神者は短冊を受け取り、墨と筆を取り出すと、何を書こうかと考えを巡らせはじめた。
「……なんで横になっているの?」
 ふと見ると、明石がごろりと横になってくつろいでいる。
「国俊が笹運べ〜だのなんだのえらい人使いが荒くてなぁ。えらい疲れましたわ」
「そうなんだ……手伝いに行かなくてもいいんですか?」
「自分が行かんでも、今頃は小さい子らがこぞって準備してますわ。みなさんよう働くわ」
 審神者の小言に、彼は聞き流してあくびをした。どうやらその姿勢のまま待つつもりらしい。
「あのね明石さん。織姫と彦星の話、知ってますか?」
「何ですのん出し抜けに」
「彦星と織姫が仕事もせずに遊び呆けていたら、天の神様が二人を一年に一度しか会えないようにしちゃったんですよ。それが今日、七夕の日です」
「そうなんや。そら大変ですなぁ」
 まるで他人事、といった返事であった。
 これを教訓に少しは襟を正してほしい、といった密かな期待は全然功を奏すことはなく、審神者は悔しくなった。
「明石さんは大切な人と一年に一度しか会えなくなってもいいんですかっ」
 彼はきょとんとしてしばらく考える様子をみせると、こう答えた。
「あぁ……一年に一度ぐらいなら、まぁ別に……」
「そう、ですか……」
 審神者はその答えに落胆した。
 実のところ審神者は彼に少々憎からぬ思いを抱いていた。明石もなんだかんだ理由をつけては、こうやって話しかけてくれるので、少なくとも嫌われてはいないのではないか。少しは好意を持ってくれているといいのだけれど、という期待をしていたのである。
 いくら働かないが売りの明石でも、この問いをしたらどうなるのか気になっていた。「そら困りますなあ」などと少しは慌ててくれるのではないか。
 しかし現実は非情だった。彼にとってはそのような血迷い事よりも働かないことが優先されるのだ。その事実に、審神者は少なからず動揺した。
 それに、悠久の時を過ごしてきた刀剣とは、時間の捉え方がまるで違う。そこには天の川よりも深い溝があるようだった。


 ぼた、と墨の垂れる音がして、審神者は我に返った。
「やだ、私ったら」
 やってしまった。こんな初歩的なミスをするなんて。何を書こうかと筆が止まったまま、そこから墨が垂れて短冊の上ににじんでいた。まるで泣いているみたいだ、と審神者は思う。
「どないしました」
「ごめん、汚しちゃった」
 さっさと願い事を書いて終わらせてしまいたいが、考えがまとまらない。いっそ当たり障りなく「無病息災」とでもしようか。しかし刀剣男士は病気などしただろうか。無病息災、質実剛健、武運長久。四字熟語が頭の中をぐるぐると回り、結局筆は止まったままだ。
「うぅん、思いつかないや……」
「しゃーないなあ」
 と、明石が重い腰を上げた。そして審神者の背後に腰を下ろし、彼女の手ごと筆を握った。
「ひゃっ、何々?」
「あか、し、さんが……」
 耳元で呟きながらたどたどしく言葉が綴られていく。
 やがて願い事が完成し、彼は握っていた手を離す。そこにはこう書かれていた。

 明石さんが働いてくれますように

「え……?」
 いかにも不慣れな人が書いた文字、といった風情であった。そういえば彼は左利きなのだ。
 それに墨汁が垂れて、染みを作っている。お世辞にもいい出来とはいえなかった。
「これでよし、と」
 満足そうな声が耳元で聞こえ、審神者は混乱した。
 なぜ彼はこのような願い事を書かせたのか。働かされるのは嫌いなのではなかったのか。元々わかりにくい男ではあったけれど、これはどういうつもりなのだろう。彼の真意が全くもって理解できない。
「じゃあこれ、持って行きますわ」
 明石は短冊を片手にひらひらと振り、立ち上がる。
「待って、それでいいの?」
「働かなあかんのは困りますなぁ。あーホンマ困りますわ」
 ますますわからない。
 頭上にハテナマークが浮かんだままの審神者とは対照的に、彼はニヤニヤ笑みを浮かべると「ほな」と行ってしまった。どうやら本当にあれを飾りつけるつもりらしい。


 そうして飾りつけをしに行った明石が「なんで主さんの願い事を独占してんの!?」と皆から詰め寄られていた、とは後日人づてに聞いた話だった。
「まあ働かなあかんみたいですから、仕方ありませんなぁ」
 と彼はしたり顔で笑うばかりであった。