「明石さん、現世に一緒に行きませんか?」
久しぶりに休暇が与えられ、審神者は現世へお供を連れて繰り出した。だが、せっかく意中の男士を勇気を出して誘ったのに、現実は残酷だった。
ワイシャツの上に襟ぐりの開いたゆるいニットを合わせた彼の現世寄りにコーディネートされた服装を見て、ときめいたのはその一瞬だけ。
「自分は後ろからついて行きますんで、お構いなく」
その言葉の通り、彼はどこに行くにも数歩開けて審神者の後をついて回った。
ぴろり、と電子音が鳴り、明石はポケットから端末を取り出す。彼は暇さえあれば端末を眺めていた。まるで現世の全てに興味がないとでもいうように。
「明石さん、何か見てみたいものや行ってみたいところ、ありますか」
「特に何も……。ぼおっと景色を眺めるのもええでっしゃろ」
「景色……。街の景色と自然の景色、どっちがいいですか」
「主はんの見たいもんでかまいまへん」
「……お腹すきましたね。何か食べませんか」
「主はんの食べたいもんでええですよ」
言葉を交わす時に一瞬審神者に目をやるが、すぐにそらして気のない返事をする。ひたすらそれの繰り返し。
あれこれ考えて、精一杯おしゃれをしたと悟られないようカジュアルの範囲にまとめた今日の服装。袖のふわっとしたカットソーにタイトなロングスカート、編み上げブーツ。審神者になってからは着る機会のなかったそれも、もはやなんの意味もない。
そして彼は気だるそうに手元の端末を見る。
「おかえり〜! ……あれ、どうしたの」
加州が出迎えた先に目撃したのは、情けない表情の審神者と、いつも通り気だるそうに佇む明石の姿であった。
「まさか職務質問に捕まるとは思わなかった! 女性の後をつける男がいるって通報されたの! 信じられる!?」
審神者は加州を茶の間に連れ込んで、愚痴をこぼした。
警察官に囲まれても刀剣男士である明石は動じなかったが、審神者の職に就くまでは一般人であった彼女は動揺した。動揺しすぎて、明石に駆け寄ってしがみついてしまったほどだった。「この人は私の連れ合いです」と慌てて明石の手を引き、手近なゲートに飛び込んで逃げ帰ってきたのだ。
それを聞いて加州はお愛想程度に笑った後、深い溜め息をついた。
「主さ〜、お人好しすぎでしょ。怒ってやればよかったのに! 俺、言ってこようか? いくらなんでも任務放棄しすぎでしょ」
「ううん、それがね……」
もちろん審神者だってさすがにその態度はない、と詰め寄ろうとした。しかし、端末の画面がちらりと見えてその気持ちも消え失せた。
彼が見ていたのは索敵アプリの画面。任務放棄どころか、彼は立派に護衛の任務を遂行中だったのだ。そうなると、現世での息抜きだと浮かれていた自分が惨めにすら思えた。その上職務質問にまで出くわしてしまい、萎れた気分のまま本丸へ帰ってきたのだった。
「へぇー」
「そうなの。だから怒るどころか任務中だったかーと感心しちゃって……」
殊勝な受け答えをしているけれど、審神者の表情は正直だった。見るからにしょぼくれている審神者を見て、加州は慌てて話題を変える。
「そもそもさー。なんで明石なの?」
「うん……。彼は来派の子には優しいじゃん? その笑顔を少しでもこっちに向けてくれたら、と思っちゃったんだよね……」
何に対しても興味が薄く、任務にも精を出さず、ともすれば冷淡ともとれる刀。だが蛍丸や愛染国俊に対しては甲斐甲斐しい保護者ぶりを発揮していて、子供達も文句を言いながらよく懐いていた。そんな意外な姿に興味を持った。
まずは世間話からでもと声をかけてみたが、あまり芳しくはなかった。
「自分に何の用です?」
「え。いや、お話したいなーと思って……」
「はあ。期待しても何もありまへんよ」
絵に描いたようなそっけない対応。退屈そうに前髪をいじり、視線をすっとそらされる。ここでくじけたら元も子もないと色々話しかけてみたが、だいたい不発に終わった。
唯一食いついたのは、やはり来派の話題だけ。
「明石さんは蛍丸贔屓と言うけど、愛染くんにも優しいよね?」
「さすがによく見てはりますなぁ。国俊は手はかからんけど、自分の力を過信してるとこがありますからなぁ。ちゃんと見とかんと何しでかすかわからへん」
蛍丸贔屓を公言してはばからない彼だが、愛染を邪険にしているところなど見たことがなかった。彼らの事となると、表情がいつも優しくなる。つられて審神者も笑顔になるが、明石は見られていることに気づいたのか、いつも通り視線をそらして前髪をいじり始めた。そこからは気もそぞろで曖昧な相槌が続き、話も膨らまずに終わった。
そして久しぶりに現世で休暇を取る機会が訪れ、審神者は勇気を出して明石を誘った。
どうこうなるつもりもなく、ほんの少しでも二人きりの時間を持つことができたら。少しでも話ができるようになれば。そんなささやかな願いは叶うことはなかった。当の明石にそのつもりがなかったからだ。
「現世? ……まあ、ええですけど」
いつも通りのあっさりした態度。思えば最初から脈などなかったのだ。審神者の命令だから従っただけ。断られないだけマシ。いつも微妙に視線が合わないけど、この時もそうだった。
認めたくないけど、自分の立場を思い知った。審神者の視界がぐにゃりと歪む。
「主ー、大丈夫?」
「うん……話聞いてくれてありがとう」
「いいけどさー。あまり一人で抱えこまないでよ?」
加州が背中をさする。初期刀の彼には心配をかけてばかりだ。
「ありがとう、加州」
これ以上みじめな姿をさらすわけにはいかない。ぐっと涙をこらえて無理やり笑顔を作った。
その後は私室に戻り、無気力に横たわっていた。せっかくの休暇なのに、何もする気が起きない。
すると、遠くからどたどたと複数の足音が聞こえてきた。ただ事ではない、と体を起こす。
「主さーーーん!!」
恐る恐る障子を開けて廊下を覗き込むと、そこには後ろ手に縛られた明石国行が来派の二人に引っ立てられていた。多少やりあったのだろうか、衣服がいつも以上に乱れている。そして、お白州ならぬ私室の廊下に乱暴に正座させられた。まるで時代劇で見たような光景だ、と審神者は思った。
「じゃーん。下手人をひっ捕らえて参ったー」
「ど、どうしたの?」
蛍丸のどこかのんびりした口調に毒気を抜かれるが、要領を得ないので隣の愛染に尋ねる。
「主さん! 国行のやつ、主さんの写真を隠し撮りしてやがった!!」
「は……?」
思わず渦中の刀をまじまじと見ると、彼はふい、と視線をそらした。
「どういうこと……」
愛染に勧められるがまま端末を眺める。そして今日の現世での写真を見つけて、複雑な気持ちになった。そこには場を取り持とうと笑顔を作る審神者の姿が写っていた。画面と明石をかわるがわる眺めるが、目の前のヒトと事象が繋がらない。これは本当に彼が撮った写真なのだろうか? だとしたら何のために? 状況が見えてこない。
それに、さっきから明石とは全然視線が合わない。さっきからというより、彼はいつも微妙に視線をそらしていて、その瞳をちゃんと捉えた記憶がないのだ。
「明石さんは索敵アプリを見てたんじゃなかったの?」
「……さすが主はんよく見てはりますなぁ。隠蔽工作しといた甲斐がありましたわ」
「は? なんで……?」
ますますわけがわからない。
「主さんを欺いたつもりでも、オレたちが見ていれば意味ないよな。部屋でニヤニヤしてるから何見てんのかと思ったら、主さんの写真見てたんだぜ」
「不審者ー」
明石といえば、蛍丸の容赦ない一言にさすがに撃沈していた。
「不審者て……そこまで言わんでも……」
ページをめくるにつれ、段々昔の写真が現れたが、愛染や蛍丸に混じって審神者の後ろ姿やらズームを駆使して撮ったであろう写真まで発掘され、審神者はますます混乱した。
「ちょっと待って、これいつの写真……?」
「主さん、切腹させるなら本体貸すぜ」
「俺がやってもいいならやっちゃうけど」
きっぱりと言い放つ愛染と蛍丸に、審神者は我に返り、慌てて首を振る。
「いえ、私が話します。……明石さん」
明石がぴくりと反応するが、相変わらずそっぽを向いたままだ。
「明石さん、こっちを見て下さい!」
写真には驚いたけれど、つまりこれは興味がある証拠で、少なくとも嫌われてはいないはずだった。それに後ろ手に縛られて正座した今なら逃げられない。審神者は明石の正面に膝をつき、両の手のひらで頬を包み込み、その瞳をのぞき込んだ。
薄緑色の瞳が見開かれ、明石の頬が薄く染まった。
そして頭上から降ってきたのは――桜。明石国行の誉桜だった。
審神者は半ば呆然と舞い散る花びらを眺める。そうこうしているうちに彼はがっくりとうなだれた。
「あかん。かっこ悪ぅ……」
「そこじゃねーだろ! 主さんを放って写真隠し撮りしている方がよっぽどかっこ悪いっての!」
愛染からの容赦ないツッコミが飛ぶ。
大量の写真、誉桜。答えはひとつのように思えた。だが、眼の前の彼の態度とそれが結びついてこず、しかも自分から指摘するには憚られた。
「しゃあないですやん……。間が持ちまへんもん」
そっぽを向きながら口をとがらせている様子を見ると、その想像がどうやら正解だったらしい。
「国行はねー、素直じゃないんだよねー」
だが。蛍丸からの一言に、審神者はとうとう爆発した。
「…………もう!! なんでそんな、一人で写真なんかっ……」
彼が一人で写真を撮っている間、審神者は寂しい思いをしていたのだ。道中あれこれ声をかけてみても、つれない返事。明石が審神者への感情を隠したことが、結果的に全て裏目に出ていた。
写真の中の自分は、場の雰囲気を壊さないように必死で笑顔を作っている。惨めだった。
「こんなもの……!」
審神者は端末を操作する。削除キーを発見し、それを押そうとしたところ横から掠め取られた。
「ヒトの端末は勝手にいじらんといて下さい」
明石だった。いつの間にか手の拘束を解いている。紐の跡が残った手首を動かしながら、ぶつくさ文句を言っていた。
「はぁ。抜けるのにちぃと手間取ってしまいましたわ」
「なんだよ、そんなもの……っ」
審神者はうなだれた。まるで自分より端末の方が大事なように思えたからだ。涙が溢れそうになり、必死で目尻を拭う。
明石は審神者の真正面で頭を下げる。
「えろうすんまへんでしたなぁ。このお詫びは、いつか……」
「いつか……?」
「そのうち……」
「そのうち?」
「国行、はっきりしろ! 主さんに愛想尽かされても知らねえからな!」
明石のぐだぐだしたお詫びに、愛染が背中を叩く。鈍い音が響き、明石が顔をしかめてのけぞった。
審神者はそんな彼らを眺め、あれこれと考えを巡らせ始めた。もしかしたらこれは、チャンスなのかもしれない。
「じゃあ埋め合わせにデートしてくれるんですか……?」
「えぇ、今日の今日でそれ言います?」
「――じゃあわかりました。私と一緒に写真撮ってください」
「いやぁ、それはちょっと……」
「なんでだめなんですか!」
審神者が怒りに任せて床を叩く。そして顔を覆って嗚咽を漏らしはじめた。
明石は目に見えて焦り出した。手を伸ばすが、所在なげに宙をさまようと、すぐに下ろされる。その様子を見ていた愛染と蛍丸はあーあ、と嘆息する。
「ちょお……わかりましたわ。埋め合わせさせてもらいます。写真も……まあ気が進まんけど撮りましょか。だから泣かんでください」
「ホント?」
「嘘泣きですやん……」
明石は天を仰いだ。審神者はしたり顔でぺろりと舌を出す。今日という日は不発に終わったけれど、何とか埋め合わせをもぎ取ったのだ。それに、明石国行という刀剣男士の操縦方法を、少しは理解してきた気がする。転んでもただでは起きないのだ。
「一筋縄じゃいかないことがわかったから、仕返しですよ!」
「参りましたなぁ……」
ちっとも困っていない口調で明石はつぶやいた。桜の花びらが、はらはらと宙を舞っていた。