裁縫本丸と明石

 うちの本丸は貧乏だった。
 まず資材がない。遠征や日課をこなして少しずつ溜めてはいるが、それでも怪我をした男士の手入れに当てたらあっという間に底をついてしまう。金子(きんす)もない。必要資材やお守りなんかも買えず、もちろん贅沢品なんか買う余裕などないのだ。
 だから私は針と糸を手に取った。
 怪我はともかく、服をかすめたくらいの軽微な損傷は自分で繕うことができる。運良く万屋にははぎれを安く融通してもらえたので、これなら資材も使わずにすむ。代わりに膨大な時間を費やす事になったのだけれど。

 短刀にはかわいらしい花柄や模様のついた布をあてた。彼らも最初のうちは気を遣った反応をしていたけれど、修繕の腕が上達してきたら素直に喜んでもらえるようになった。特にかわいいもの好きの乱なんてわかりやすく「主さ〜ん! ボク、次はさくらんぼ柄がいいなー」と抱きつきながらお願いをしてくるようになった。
 山姥切国広の裂けた布を縫い付けたときは「写しにはこれぐらいがお似合いだ」などとうそぶいていた。結局のところ彼の態度は満足なのか不満なのか、私にはよくわからない。
 格好良さにこだわりのある燭台切なんかはあからさまに固まっていたけれど、彼はヒトが良いのでその不満を私に言ってこない。本当に申し訳ないと思うけれど、私の腕はせいぜい趣味の手芸レベルだ。彼の求めるような物はおそらくできない。
 加州もそうだ。彼も見た目に気を遣う刀なので、「綺麗にやってよ〜?」とちくりちくりと牽制された。
 歌仙からはもっと抵抗されると思ったけれど、牡丹や蝶などの雅やかな着物のはぎれを縫いつけたところ、意外とまんざらでもないようだった。
 と、こんな感じで刀剣男士からの反応はさまざまだった。


 そこに顕現したのが明石国行という刀だった。
 彼は本丸の様子を興味深そうに見つめると、こう言った。
「なんや皆さん、オシャレしてはりますなぁ」
 どういうつもりで言ったのかわからないが、それが私にはぐさりときた。刀剣達に貧乏を強いている後ろめたさを、たまたま彼の言葉が刺激した。ただそれだけのことなのだけれど、私には少々強い言葉だった。
「ごめんなさい、うちの本丸は貧乏で……服の裾程度は私が繕ってるの」
「左様ですか。それは結構なことで」
 たったそれだけのやり取りなのだけれど、私はこの刀が少し苦手だと思った。

 彼は希少価値が高く、しかも太刀。手入れに資材を食う部類の刀剣だった。当然戦になど出せるはずもなく、遠征や演練を中心に大変緩やかなスピードで鍛えていくことになった。それでも「自分に働け言いますか? 参りましたなぁ」などとぼやいていて、それを聞くたびに心がずっしりと重くなった。お金がないから、そのぶん体を使って工面していかなくてはいけない。まるでそれを否定されている気分だった。
 もしかしたらうちに来るべきではなかったのかもしれない。彼はうちには過ぎた刀だ。

 戦には出せないから、非番にする日も多いのだけれど、何を思ったか明石は私の針仕事を時折覗きにきた。特に手伝うそぶりもなく、たまに世間話をする程度なのだけれど。
「器用ですなぁ」
「そんなことないよ。必要に迫られているからやってるだけ……」
 我ながらかわいくない答えだと思う。
 明石の間合いのとり方は絶妙だった。近すぎると気になってしまうが、その点彼は少し離れたところでぼおっとしているだけ。見ていないようで見ている。時々顔をあげたらうたた寝をしていたりする。そんな距離感だった。
「できた。これは山姥切の布」
 ばさっと布を振る。さすがに継ぎ当てが多いと重くなり、重量感のある音が響いた。
「おー。ええですやん」
「さすがに限界かなぁ。次は手入れで直してもらおう……」
 それと同時に、自分のしていることは何なのか、という思いが胸を突いた。こんなもの、手入れ部屋に入れてしまえばすぐに綺麗になるのに。まるで賽の河原で石を積んでいるようだ。
 私は静かにため息をつく。その横顔を明石がじっと見つめていたことに、私は気づかなかった。


 そんな折、明石の上着の裾がほつれているのを見つけてしまった。
 私は観念して声をかける。苦手だからといって面倒を見ない理由にはならない。
「――ああ。林で引っ掛けてしもたんやろか」
「林?」
 聞けば愛染がカブトムシを捕まえると言い、彼は仕方なく裏の林について行ったらしい。そんなことで裾をほつれさせないでほしい、と思わなくはなかったが、ぐっとこらえる。
「それ、直そうか」
「ええんですか。戦に出たわけでもないのに」
 彼のとげのある一言が、またちくりと胸を刺す。
 いや、今のは自分がいけない。渋々という自分の態度が、そのまま跳ね返ってきたにすぎない。余計な手間を、と思ったことが見透かされているのだ。
「いいよ。嫌じゃなければ、だけど」
「まさかまさか。嫌なわけあらへん。ほな、よろしゅう」

 しかし、今日は仕事が立て込んでしまった。夜半すぎて、眠い目をこすりながらようやく上着の裾の修繕に着手する。
「まだやってはったんですか」
 執務室の外から声がかけられた。明石だった。
「主はん。根詰めてるとそのうち倒れまっせ」
「もう少しで終わるから……」
 私が手を止めずに繕っていると、彼はそのまま部屋に入り込んできて隣に座った。
「別にすぐに直さんでもええですやん」
「ううん……きりがいいとこまでやっておきたいから。明石だって、寒くない?」
「自分は構いまへんけどなぁ」
 明石は私の裁縫道具から針をすうっと抜き取った。迷いなく左手で取る様子を見て、左利きだ、と場違いなことを思った。そういえば私は彼の利き手すら知らなかった。
「明石、裁縫できるの?」
「さあ?」
 私はドキドキしながら彼の手つきを見守る。これで怪我でもされたら事だ。余計な仕事が増えてしまう。
「見よう見真似ですけどな」
 そう言い、彼は糸巻きから糸の端を拾い、ねろりと舐めた。糸巻きがかたっと音を立てて転がっていく。
 ただそれだけの行為がひどく官能的に思えてしまい、私は目を離すことができない。自分が今、何を持っているかも忘れて。
「いった……」
 その瞬間、指に痛みが走る。針が私の指をちくりと刺していた。
 明石はぱっとこちらを見た。
「どないしました」
「大丈夫――ちょっと刺さっちゃったけど」
 大したことない、と言おうとしたその瞬間、彼は針山に針を戻してすごい早さで腕を引いた。左手の人差し指にはぷっくりと血の玉が出来ている。思ったより深く刺してしまったようだった。
 彼はそれを、躊躇なく口に含んだ。
「――な、」
 ちゅう、と音を立てて指に吸いつく。そしてぬるりと舌の感触がした。私は呆然とそれを眺め――ふと我に返った。慌てて手を引く。
「な、に」
「何って……消毒しときました」
 このヒトは今、何をした?
 当然のように言い放ち、微笑む明石を見て私は大混乱に陥る。人の血を舐めるなんて。それとも、彼は人じゃないからいいのか? いや、いいはずがない。少なくとも指の味を確かめるように舐めるような、そんなことをしていいわけがない。
 私は慌てて持っていた針を針山に刺し、彼の上着を乱雑に丸めた。
「わ、わ……もう、終わりにする!」
 我ながら無様な言い分だった。糸を切り、端の始末も忘ればたばたと裁縫道具をしまい、慌てて部屋を後にする。
「はぁい。ごゆっくりおやすみください」
 彼ののんびりした挨拶を背中で聞いて、私は廊下を駆けた。


 その日は眠れなかった。
 薄明かりに照らされた明石の官能的な表情、唇からのぞく赤い舌の色。かすかに痛みの残る指にねっとりと絡みついた舌の感触。それを何度も思い出してしまうのだ。
 これから彼の上着を繕うたびに、触れるたびに、見るたびに、そんなことを思い出してしまう気がした。


   *



 出陣や遠征を重ね、資材も潤沢、とまではいかないがそれなりに集まるようになってきた。前のようにけちけちして戦装束の裾を手で繕わなくてもよくなったのだ。不自由させていた男士達にも、やっとまともな生活をさせられるようになった。
 もっとも、乱などの一部刀剣からはまた繕ってほしいというリクエストがあり、私はそれに応じることになったのだけれど。


 そんな中、明石の上着の修繕の跡を見てしまい、何とも言えない気持ちになった。
 私はこの上着をうまく縫うことができなかった。あの時のことを思い出してしまい、手元がおぼつかなくなってしまうのだ。結果的に少しよれ、ぱっと見て違和感を覚える出来となった。しかし、やり直したところでうまく直せる気がしない。
「……ごめん。うまくできなかった」
 恐る恐る明石に上着を差し出す。彼の顔を直視することができなかったが、思いの外優しい声が降ってきて顔をあげた。
「おおきに」
 そして上着を羽織ると、具合を確認するように体をねじり、くしゃっと笑ったのだった。
「ええですやん?」
 その顔を見てしまったらもう駄目だった。
「そ、そう、良かった」
 私はなんとか声をひねり出して、逃げた。


 資材が増えてからも、彼は手入れ部屋に入ろうとはしなかった。「別に怪我してるわけでもあらへんし、ええですやん」とかなんとか言って。かすかにゆがんだ上着の裾など気にした様子もなく、彼は日々を過ごしていた。
 だが私はその修繕の跡が気になってしまうのだ。あの晩、執務室に入ってきた彼が、私の指から滴る血を舐めた。そのことをどうしても想起してしまう。指先に触れた舌の感触を思い出し、顔が熱くなってしまう。
 いっそ怪我でもしてしまえば、手入れで消えてなくなってしまうのに。
 ふと邪な考えが頭をよぎり、体が震えた。
 私は今、何を考えた? 刀剣男士が怪我を負うことを願うだなんて、あってはならないというのに。

 そんな自らの心の弱さから、明石の初陣は先延ばしにされていた。一瞬でも頭をかすめた邪な思いが、本当になってしまったら、私は自らを責めずにいられるだろうか。彼に顔向けできるだろうか。刀剣男士が怪我を負って帰って来るたび、私はその思いを強くした。
 この扱いがすでに不平等だということも、この考え自体がすでに主と従者のそれを逸脱していることにも、私は気づかなかった。
 しかし、先延ばしにするといっても限度があった。しびれを切らした愛染が直談判に来たのだ。
「主さーん! 国行を戦に出してくれよ! 資材がなかったころは仕方なかったけど、そろそろ特がつくんだぜ。俺がじゃんじゃん鍛えてやるからさ! なっ、いいだろ?」
「……わかった。いい機会だから出してみる」
 正面切って言われたら、反対する理由は何もない。自らの心の弱さなど、理由にはならない。
 そして迎えた初陣。私は柄にもなく緊張していた。
「彼の初めてをもらうなんて、光栄だね。……初陣のことだよ?」
 青江がいつもの調子で冗談を飛ばすが、私はそれにうなずくことしかできない。汗をかいてべたべたする手を、服の裾になすりつける。
「主さん、大丈夫だって! 俺もついてるしさ」
 愛染からも背中を叩かれる。当の本人は「働かんわけにもいかんし、しゃーないなぁ」といつもの調子だった。
「ほな、行きますか」
「無事に帰って来てね」
 私はその背中を見送る。ひらひらと不規則に揺れる上着の裾を見つめながら。


 待つこと数刻。帰還の知らせを受けて目の当たりにしたのは、負傷した明石の姿だった。
 私は言葉を失う。手入れ部屋に入れたいと願ったものだから、ばちが当たったのだ。
 だが、当の明石は平然としたものだった。よろよろとしながらも誰の手も借りず、私の前まで歩みを進める。
「主はん。これ、かすってしまいましたわ。直してもらえます?」
 明石が指し示したのは、自らの衣服だった。
 上着を脱ぎ捨て、自らの傷などなかったかのように去ろうとする。今でさえ血が止まらず、シャツを汚し続けているというのに。刀剣男士の怪我は手入れや霊力がこもった道具でしか治らない。それは彼も知っているはずだ。
「ほな、頼んます」
「ちょっとどこ行くの! すぐ手入れ部屋に入って」
「こんなんかすり傷ですやん……ってて……」
「国行、ふざけてんじゃねえ! 手入れ部屋に行くぞ!」
 愛染や周りの男士達の助けもあって、明石は無事部屋へ担ぎ込まれた。さすがに観念したのか、彼は畳の上におとなしく横たわる。
 その隣で、私は彼の刀身の手入れを始めた。刀身を解体し、打ち粉に霊力を込める。
「あぁ、残念ですわぁ……。せっかく主はんが繕ってくれはったのになぁ」
 ほそぼそとしたつぶやきを、私の耳が拾う。彼の表情は両の手のひらに隠されてしまい、窺うことはできなかった。
「ごめん」
「……なんで、主はんが謝るんです?」
 理由など言えるわけがない。かわりにじわりと涙があふれ、嗚咽が漏れそうになって、私は口を噛みしめる。
「何を思いつめてるのか知りまへんけど、ちゃいますよ。これは自分の力不足です。……ってて。はぁ、手ぇ抜いたつもりはあらへんのやけどな」
 よろよろと手が伸びてきて、私の頭に触れた。彼は笑顔を見せようとして、そして失敗していた。傷口を押さえて苦悶の表情がにじむ。
「動かないで。……何がかすり傷だよ! もう!」
 私は伸びてきた手をそっと押し戻した。顔を拭うと、無理やり彼を寝かしつけて、作業を再開する。長い手入れになりそうだった。


 手入れがすんだ明石がのそのそと部屋から這い出てきたのは、翌日の昼が過ぎてからだった。
 傷ひとつ残っていない体に真新しいシャツ。あれだけの怪我が嘘みたいに消えている。
「主はん。自分の上着が見当たらんのやけど」
 そこへ私は上着を渡す。背中まで貫通した穴は、見事に塞がれていた。――私の拙い修繕技術で。あれほど私の心をかき乱した裾の修繕跡もそのままだった。
「え? どないしましたのんこれ」
「手入れが完成する直前に、無理やり戸を開いて止めてやったの。……資源はたいして残らないし、変な動かし方したから霊力は余分に持っていかれるし最悪だよ! 二度とやらない……!」
 しかも徹夜明けで裁縫をしたため、手元がおぼつかず綺麗に穴を塞げなかった。その後ざっと手洗いして血抜きまでした。大変無駄な労力がかかっているのだ。
 明石はしばらくぽかんとしていたが、やがてじわじわと笑みをこぼした。
「主はん、わざわざご苦労なことですなぁー。なんですか、ぼろは着てても……というやつですか。山姥切はんみたいですなぁ」
「うるさいな。いらないなら手入れ部屋につっこむから」
「へえへえ。ありがたくいただいておきます」
 明石はうやうやしく上着を受け取り、袖を通した。
「歴戦の猛者みたいですやん」
「もう汚さないでよ、上着」
「前向きに善処しますぅ」
 皮肉をこめてちくりとやると、軽口が返ってきた。
 この上着がこれ以上汚れないよう願わずにはいられない。これ以上何の怪我もしないよう、願わずにはいられないのだ。



   *



「いち兄、ボクにもお守り作ってよぉー」
「ぼ、僕にも……作ってほしいですっ……!」
 乱と五虎退が一期一振にお守りをせがんでいた。一期は困ったように微笑んでいる。
 本丸もだいぶ大所帯になって、私も手が回らなくなってきた。日課や雑務に追われ、満足にひとりひとりに時間をかけてあげられないのが心苦しい。だが彼らもただ手をこまねいているだけではなかった。自分でできることは自分達で、と見よう見真似で繕い物を始めたのだ。
 一期一振はどうやらあまり得意ではないらしく、それなりに負傷しながら微笑ましい出来映えのお守りを作っていた。見かねて私が手伝いを申し出ると「これは私が弟達に作るのが意味があるのです」と固辞された。それもそうか、と見守ることにしたのだが、鳴狐や、短刀脇差の中で兄貴分を標榜する刀の助けも借りて分担して作ることにしたらしい。
 意外にも小夜は器用で兄達にお守りをプレゼントしていたし、兄達もそれに応えるべくせっせと繕い物をしていた。
 来派では愛染と最近顕現した蛍丸が明石にお守りをせがんでいたが、彼は面倒だと渋っていた。だが翌朝目を覚ますと、枕元にお守りが二つ並んでいたらしい。
 堀川派は脇差の彼が兄弟に作っていたし、意外なところではそういうのに興味がなさそうな三名槍にまで行き渡っているらしい。刀派のつながりがなさそうな刀にも、なんだかんだ行き渡っていた。大倶利伽羅も「馴れ合うつもりはない」というセリフを吐きながら渋々受け取っていたとか。
 あの頃の苦労を思うと、肩の荷が下りた気がする。けれど、どこか心の中にぽっかりと穴が空いたようだった。あれは自分の仕事だと、どこかでそう思っていた部分があったからかもしれない。


 明石への特別扱いは、当然のごとく本丸じゅうに知れ渡った。それはそうだろう、手入れ部屋に入ってもなお上着が元通りになっていないのだから。しかも私がぐしゃぐしゃと繕った跡まで背負って。自分への戒めとちょっとした意趣返しのつもりだったが、本丸の連中はそう受け取らなかったらしい。
「主さんは明石さんのことがトクベツなんだね! いいなぁー、あんな熱烈な愛ボクも受け取ってみたいなぁー」
「なっ……! ち、違うし……あれは嫌がらせだし……」
「えぇー? ボクはそう思わないけど? 明石さんだってあんなに誇らしそうに背中に背負って見せびらかしてるじゃない? あれを羨ましいと思ってるヒト多いんだよ〜。野暮だからみんな言わないけど」
 本日の近侍、乱にぐいぐいと突っ込まれ、私の顔はどんどん赤くなる。自らの心に蓋をしていた部分を暴かれている気分だった。
 私は抵抗を試みる。
「乱にだって軽症未満の時、繕ってあげてるじゃない?」
「違うよー、そういうのじゃなくって! 明石さんは重症だったのに、わざわざ手入れを止めてまで繕ってあげてたじゃない? いいなー。ボク、主さんのそういう話もっと聞きたいなー」
「そういうのって……別に何もないし……」
 乱が首にまとわりついてくる。
 でも実際、本当に何もないのだ。ちょっとすれ違ったり、出陣や用がある時に世間話をするだけ。他の男士と同じ。同じはずだ。
「ないの? 本当に? 主さん、せっかくだからいい仲になりたいとかないの?」
「ないない……。今は戦争中だし、本丸のことで手一杯だよ」
 乱が残念そうに口をとがらせる。こういう仕草がいちいちかわいらしくて、私よりもオンナノコしているなと思ってしまう。
 近頃は忙しくて、そもそもそういった余裕のある時間を捻出することすら難しくなっていた。忙しいと、こういった個人的なことを考えずにすむ。だから今まで気づかないふりをしてやり過ごしていたというのに。どうしてこの刀はそこをつついてくるのだろう。
「だいいち、私ひとりだけが思ってたってどうしようもないでしょ」
 言ってから、ぱっと口を手で塞ぐ。今のは完全に口が滑った。
「認めたね? 主さん」
 もちろん乱がその隙を逃すはずがない。したり顔で私の頬をつついてくる。
「違うっ! この話はもう、終わりーっ! 仕事しよ!!」
 私は会話を無理やり打ち切った。しかしその後も乱はニヤニヤしていて、やりにくいったらなかった。


 その晩は眠れなかった。
 乱が私の心をつつくから、私はそのことについて考えざるを得なくなったのだ。
 明石国行。美しい付喪神。私の、私の刀剣。
 そう。いくら心を寄せようと、彼は付喪神なのだ。乱はいい仲などと言っていたが、おそらくそうはなり得ないだろう。最近は特に戦争も激化してきて、やらなければならない事も多い。自分の命もいつまで持つかわからない。少なくとも、刀剣男士よりは早く尽きてしまうだろう。同じ時を過ごしていても行く末はきっと違う。この気持ちは心にしまっておくべきだ。
 そう思っていたのに。
 ふと、廊下でかすかに床の鳴る音がした。
「誰……?」
 声をかけるが、返事はない。
 誰か用があって来たのなら返事をするだろう。ただの家鳴りだろうか。襖を開け、確かめる気力もわかず、私はしばらく布団の中でもぞもぞとしてそのまま寝てしまった。
 翌朝、部屋の前にお守りがぽつんと置かれているのを発見したのだった。

「お守り……?」
 それはかわいらしい花をあしらったお守りだった。表には「家内安全」と書いてある。
 昨晩の気配はやっぱり誰か訪ねてきてくれたんだ。面倒くさがらずにあの場で出ていればと思ったが、今さらどうにもならない。
 いったい誰がこのお守りを置きにきたのだろう?
 皆で朝食を取り、朝会で簡単に本日の方針を話し合ったが、その時も言い出せなかった。わざわざ姿を隠して置きに来たのだから、名乗り出ることは考えにくい。
 私は私室でそれをしげしげと見つめる。手縫いだが、丁寧に縫い合わせてあってよくできていた。しかも「家内安全」って、とくすりとする。まるで勝手に身内認定されたみたいでくすぐったかった。
 出どころはきっと最近お守りを作っている刀剣の誰かだ。まさかね、とは思うが推測の域を出ない。あの面倒くさがりの刀剣が、わざわざお守りを作ってくれるものだろうか。
 本当は開けてはいけないらしいが、恐る恐る中を改める。
「桜……?」
 違う、と直感的に思った。これは桜でも誉桜だ。刀剣男士が好調の時、喜びの感情が高まった時に出る桜。それがふわ、と舞い、指先にまとわりつくように消えた。

 しばらくお守りは私室の引き出しにしまっていた。当人に聞けばいいのかもしれないが聞けずにいた。
「おーっす! 主さーん!」
「おはよう、愛染くん」
 朝から元気いっぱいの愛染とすれ違った。首からお守りを下げて。
「ちょっと待って愛染くん! そのお守り、見せてくれる?」
「これ? いいけど」
 愛染からお守りを受け取り、しげしげと見やる。彼のトレードマークである炎をかたどった布地。そして「健康御守」の文字。
「国行が夜なべして作ってたらしいけど、別に普通だろ?」
 愛染が首をかしげている。
 ふと、「健康御守」の文字が縫い付けてある布の縫い目が斜めになっている、と気がついた。通常用いるたてまつり縫いではなく、この流しまつり縫いだと労力が減るけれど縫い目が斜めになるのだ。
「…………ありがとう!」
 愛染にお守りを返すと、私は全速力で廊下を駆けた。
 なんで気がつかなかったんだろう。彼は左利きだ。左利きなら、糸の運びも左から右と逆になる。流しまつり縫いの目も右利きとは逆なのだ。
 私室に入り、乱雑に引き出しを漁る。お守りを見ると、やはり縫い目は逆向きであった。
 じわじわと笑みが溢れてくる。心に思い描いていたヒトからの贈り物がこんなにも嬉しいなんて、知らなかった。


 お守りは、身につけることでより効力を発揮するらしい。ということで私は着物の帯に挟み込んだ。ちら、と見える程度だが、目ざとい者は気づくだろう。
 案の定、食いついてきた刀剣がいた。
「おや主はん、それは……」
 私も素知らぬふりをして応える。
「これは大切なヒトからもらったの」
「へぇー。ほぉー。主はんにもそのようなおヒトができた、ちゅうことですか。そらえらいこっちゃ」
 お守りを帯から取り出して見せびらかすと、明石は大げさに驚いてみせた。なんだか随分わざとらしい反応が返ってきて、私は赤くなる。
「なんだよ……!」
「でもな主はん、そないな怪しいお守りに心を寄せて、どこの馬の骨がくれたもんかわかったもんじゃありまへんなぁ」
「いいの! ほら、私の好きな花柄だし、『家内安全』って書いてある。少なくとも私を守る意志があるってことでしょ」
「さよか。そら結構なことで」
 彼はニヤニヤと笑みをこぼす。そしてとうとうこらえきれずに笑い出した。
「ふっ。くくっ……あっはっは」
「何笑ってるんだよ!」
 彼はしまりのない顔のまま会釈すると身を翻し、後ろ手でひらひらと手を振った。
「悪いオトコにたぶらかされてしもて、まぁー大変ですなぁー」などと言って。
 私は遠ざかっていく彼の背中をしばし眺めると、顔を隠してしゃがみこんだ。
 これは、茶番だ。盛大なる茶番だ。
「語るに落ちてるんじゃないかよ……!」
 私は「誰がくれたのかわからない」などと一言も発していない。なのに明石はその前提で話をしてきたのだ。何が馬の骨だ。何が悪いオトコだ。全部知ってるくせに。
 彼の古びた上着から、誉桜がひらりひらりと舞い落ちていった。