宣戦布告(明さに・大さに)
明石国行は大包平のことが苦手だった。
まず声が大きい。そして何の根拠もない自信に満ち溢れた尊大な態度。曲者揃いの男士の中でも、彼はひときわ主張の強い存在であった。やたらと天下五剣に突っかかっていき、強い感情をさらけ出し、無駄な体力を浪費している。やる気ない働かないを信条とする明石にとっては、他者に敵愾心を持ち突っかかっていく大包平のことが理解できなかったのである。
だからぶつかり合うことのないよう、できるだけ関わり合いにならないよう適当にかわして過ごしてきたのだ。
だというのに今日は彼に捕まった。
縁側に寝そべってうつらうつらとうたた寝をしていると、目の前に立ちはだかる影があった。ぼんやり薄目を開けて見やる。赤髪の大男、大包平だった。
できることなら相手にしたくない。目をつぶってやり過ごそうとしたものの、彼は一向にその場を動く気配がなかった。何気なく、ふぁ、とあくびを噛み殺してみせる。
「おい」
「…………」
「おい。貴様、無視をするな」
面倒臭いことになった。狸寝入りを決めこもうとしたものの、こうまで言われてしまってはさすがに無視できない。さも今気づいたように目を開き、ぼんやりと彼を眺める。
「自分は天下五剣とちゃいますけど」
「そのようなことは聞いていない! 貴様、主はどうしたのだ」
「……なんで自分に聞くんやろなぁ」
揶揄を含んだ台詞も真正面からいなされて、単刀直入に用件に切り込まれる。明石は思わず視線をさまよわせた。
大包平の面倒なところはここなのである。声が大きくて自信過剰で、そして気が利かない。だというのに目端が利いて、厄介ごとに首を突っ込んでくるのだ。これで事態が大きくなってしまうのも一度や二度ではない。
「とぼけるな。主がそこの納戸に入っていくのを見ていたのだ。そして貴様が入口の前にこれ見よがしに陣取った!」
「ちょ……! しー、しー!」
ずばり触れられたくない事実を突きつけられて、明石は思わず人差し指を立てる。そんなに大きな声で騒ぎ立てたら、審神者に聞こえてしまうではないか。
幸いなことに、納戸からは特に何の反応もない。仕方なく彼は体を起こして大包平に向き合う。
「……あー、主はんは今取り込んどるんですわ」
嘘ではない。事実、審神者はこの納戸の中に入ったまま出てくる様子がない。ただ、理由が理由だけに他の男士を近づけるわけにはいかなかった。
恐らく彼女は一人で泣いているのだ。誰にも知られず一人でいられるような場所が、この本丸には驚くほど少ない。白い顔をした審神者がフラフラと納戸に入っていくのを明石は目撃した。やがて、かすかなすすり泣きを耳にすると、彼は戸口の前に陣取って昼寝場所として定めた。一人になれるよう、他の男士を近づかせぬよう。明石なりの精いっぱいの寄り添い方のつもりだった。
少なくとも、ここに他の男士を通すわけにはいかない。
「何やら御用があるんやったら、またの機会に――」
「そのようなことを言っているのではない! どうして傍についてやらぬ?」
予想外の言葉に、明石は思わず顔をしかめた。
彼は声が大きくて、一見がさつのように思えるが無能ではない。それどころかちゃんと状況を把握していて、そして正論でぶん殴ってくる。厄介なこと極まりない相手であった。
「いや……あんなぁ、一人でいたい時もあるかもしれへんやん」
明石は思わず言い返した。まるで己の意気地のなさを指摘されたようで、少し腹が立ったのだ。
「そうか。貴様が行かぬならいい、この俺が行く」
「話聞いてへん」
大包平が押し通ろうとしたため、それを阻むために立ち上がった。押し問答をしていると、控えめに物置の戸が引かれ、審神者がちらりと顔を出した。大声で話していたからこのやりとりが筒抜けだったのだろう。失態だった。
「どうしたの」
「主、大事ないか」
そんな明石の心情をつゆ知らず、大包平は落ち着き払った様子でひざまずいた。
「う、うん。何でもないよ、大丈夫大丈夫」
目元が赤く腫れて痛々しかったが、審神者がから元気で応じる手前、ただ立ち尽くして見守るしかない。
「そうか。それならいいのだが。何かあったらこの大包平が話を聞いてやろう」
大包平が自信満々に微笑むのを見て、思わず顔が引きつってしまった。
明石が決してできない振る舞いを、彼はやってのけるのだ。やっぱりこの刀は苦手だ。
「うん、ありがとう」
審神者がそう答え、彼らはあと二言三言言葉を交わした。大包平はうなずくと堂々と去っていった。
後には所在なく立ち尽くしたままの明石と、ひょっこりと納戸から顔を出したままの審神者が残された。
大変に気まずい。彼女の前で大包平の男気を見せつけられたのだから、なおのことだ。
「お昼寝の邪魔しちゃいましたか」
「いや、まあ……」
本当は彼女のことを心配していたのだけれど、口にする勇気もない。言わないのだから伝わるはずもない。
自分は呑気に昼寝をしていると思われている、一介の刀剣男士にすぎなかった。しょせんこの程度の間柄だ。
「今日はいい天気ですからなぁ」
「ふふ、そうですね」
素知らぬふりをして、当たり障りない会話を試みる。
――どうして傍についてやらぬ?
大包平の声がじくじくと心の弱いところに突き刺さる。
それは自分の役目ではない、と目をそらし続けていた。審神者の預かり知らぬところでさりげなくフォローはするが、別に気づいてもらえなくたって構わない。今まではそれでよかったのだ。
しかし大包平は違った。彼は審神者が弱っているのを認めると、すぐに近寄っていって真正面から力になると言った。
それならば大包平に任せてしまえばいいのに、なんだか胸の中でもやもやしたものがくすぶっていたのである。
「ま、お日さまもいつもニコニコしてはるのは大変やしなぁ。時々は雨を降らしたってええと思うねんな」
「え……」
言ってしまった。
それは精一杯の慰めのつもりであった。一見、ただの世間話の延長。何のことか気づかなければそれでもよかった。
審神者は目を見開くと、しばらく沈黙した。やがてじわじわと顔を赤らめていくのを見て、明石は少なからず狼狽した。
「知ってたんですか」
「え、いや、まあ……」
予想外の反応にしどろもどろになってしまう。
「す、すみません!」
審神者は赤い顔を隠して走り去って行った。その様子は大変愛らしかったけれど、それどころではない。大失態であった。
そもそも首を突っ込むつもりなどなかったのに、彼に当てられてしまったせいでつい欲が出た。審神者を気にかけたつもりが、勇み足となってしまったようだ。
「ハァ……アカンやん……」
明石は再びごろりと横になった。
やはり余計なことはすべきではなかったのだ。明石は大包平の実直でまっすぐな振る舞いを少々恨めしく思った。
しばらく日が経って。
その日は内番が課せられた日だった。のろのろと畑に向かうと、赤い髪が畑の向こう側で揺らめいているのが見えた。
あの長身は愛染国俊ではない。大包平だ。ため息をつくが、いつものポーカーフェイスを装う。
明石は彼からなるべく離れて畑の隅で作業を開始した。しゃがみこんでちまちまと雑草をむしる。働くのは嫌いだが、サボったら後が面倒だった。ましてや大包平が相手だ、大声で追い立てられるのは想像に難くなかった。
「サボるかと思っていたが、内番には真面目に来たようだな」
「そらどーも」
まさに今考えていたことをずけずけと言われてしまい、彼は適当に受け流した。だからこの刀は苦手だ。
「ちょうどいい。貴様と話したいことがあったのだ」
「さよか」
笑顔で応じたが、自分は話したいことなどない。いつものように童子切だの天下五剣だのわめいていればいいのだ。その矛先をこちらに向けられてはたまらない。先日の件もあって、できるだけ彼と接触するのを避けていたというのに、向こうはそうさせてくれないようだった。
「先日、審神者と話していたようだな」
「そら世間話くらいしますわな」
雲行きが怪しくなってきたが、適当にかわす。
あの後、審神者からは丁寧なお詫びをいただいた。恥ずかしくなって逃げてしまいました、せっかく心配して下さったのに本当にすみません、云々。あの程度のことでわざわざ声を掛けてくれなくても別に構わないのだけれど、悪い気はしない。それから、お互いの近況を少しずつ話した。親密になった、というほどのことでもない他愛のないものだったのだけれど。
それはそれとして、自分が審神者と何を話そうと大包平には関係ないことだ。
早く話を終わらせて帰りたい。そして着替えて横になりたい。
「それがどないしました?」
「単刀直入に問う。あの娘を好いているのだろう」
「は……」
しかし予感は悪い方に当たるのだ。一番切り込まれたくないところを、単刀直入に切り込んできた。
「ちょ、あんさん何言うてますの。そないなわけ……」
「違うのか?」
「……いや、あんなぁ」
否定もせず黙りこくった明石を見て、彼は満足そうに目を細めた。
「ふん、やはりか。天下五剣には惜しくも入れなかったが、来国行の白眉たる国宝。怠惰と思っていたが、仕事ぶりはまめで正確ときた。この俺の好敵手として相応しい!」
「気味悪……」
明石は困惑した。ライバル視するのは勝手だが、それならば適当に相手を出し抜いていけばいいのだ。なぜ褒められているのだろうか。何から何までわけがわからなかった。
彼は手にしていた支柱を構え、切っ先を突きつけてきた。
「この俺が好敵手と認めたからには勝負しろ」
「いやいや……堪忍してや」
明石はそそくさと尻尾を巻いて逃げ出した。仕事を放り出す形にはなるが、喧嘩をふっかけられたとでも言っておけば言い訳も立つだろう。
「逃げるな、明石国行」
大包平の咆哮に、明石はぴたりと動きを止めた。
「俺から逃げるのはまだいい。自分の心から逃げて、その後どうなる? わかっているのか、人の寿命は有限だぞ」
「……あんさんのようなお人は苦手や」
とうとう明石は本音をこぼした。
そんなことぐらいわかっている。自分は齢千年に届こうかという付喪神だ。どれほど人間の営みを眺め、彼らの死を見送ってきたか。それは大包平も同じはずだ。
しかし彼は自分とは違う。彼は他人に積極的に関わることを恐れていないのだ。
「ふん。この俺に恐れをなしたか」
大包平が愉快そうに笑っている。
明石国行は振り向くと、大包平を真正面にとらえた。いつもは受け流してしまう戯言も、今日ばかりは看過できなかった。その不遜な表情を崩してやりたくなったのだ。
どうやら自分にも馬鹿がうつってしまったらしい。
「……アホ言い」
明石は軽く息を吐くと、これから立てる予定だった支柱のひとつを掴み、左手で構えた。
武器が貧弱でも私闘は私闘だ。見つかったら罰則は免れないだろう。それでも、退くわけにはいかない気がした。
「しゃーないなあ……こんなん、本気になるより他ないやんか」
大包平が大声を上げて切り込んでくる。彼のまっすぐな太刀筋が、まるで流星のように輝いて見えた。
支柱は折れ曲がり、作物の葉が舞い散り、畝が踏みしめられる。やがて彼らは息も絶え絶えになりながら地面の上に転がった。
「やるな……貴様……。やはりこの俺が認めた好敵手にふさわしい……」
「何なん……? アホくさ……」
騒ぎはあっという間に本丸じゅうに広がった。
審神者は動揺し、愛染と蛍丸は目を丸くした。桑名は畑を荒らされて憤慨していた。しかし、彼らは決してその騒動の理由を話そうとしなかった。
ただ一人、鶯丸だけが「まあ、大包平らしいな」と笑っていたという。