顕現したばかりの明石国行はやたら不器用な刀だった。お目付け役を買って出た愛染国俊と体を慣らしがてら初陣に出掛けたが、彼は一戦ごとに刀の扱いを見咎められていた。
「へったくそだなぁ。だから、手の握りはこうだって! そうじゃねえよ、こう! ……なんで逆になっちゃうかなあ」
「しゃあないやん……。自分は付喪として顕現したばかりやで」
「それにしてもさぁ。いくらなんでもポンコツだろ」と愛染がつぶやく。
「ポンコツ言うなや」
大器晩成の槍や薙刀はともかく、明石の刀種は太刀だ。顕現したてでも、ある程度は戦闘に耐えうるはずだった。しかしどうにも動きがぎこちない。
が、テキトーテキトー! がモットーのこの短刀は気づかなかった。彼の利き手が逆であるということに。明石自身も気づかなかった。ある程度右手でもこなせてしまうため、自分のぎこちなさは不慣れなためだと思い込んでいたからだ。
「――参りましたなぁ。本気を出すより他ないやんか」
そして敵の攻撃に耐えかねて真剣必殺が発動し、キレた明石が本能に従って振るった手は左手だった。遅まきながらそれに気づいたのは様子を見守っていた審神者だったのである。
「明石さんは左利きなんだね。私とおんなじだ」
「はっ?」
「そうなん?」
帰還後の第一声がそれで、二人ともぽかんとするしかなかった。
手入れ部屋で治療を受け、すっかり回復した明石は愛染と審神者とともに遅い夕餉をとっていた。箸の使い方を戸惑う明石に、審神者が持たせてやる。
「いやーあっはっは! 国行がポンコツなんじゃなくて、利き手が逆だっただけかー」
「そこは愛染ちゃんが気づいてくれないと」
「すまん主さん!」
審神者が注意すると、愛染がぱちっと威勢よく両手を合わせ頭を下げる。そしてついでのように「国行には謝んねぇ」と続いた。
「……愛染ちゃん」と審神者がたしなめると、「悪かったよ」とそっぽを向く。
「はぁ、しゃーないなぁ。まぁうちの子も素直やあらへんからなぁ」
「何だよ! 元はと言えば国行が自分の利き手を把握してないのがいけないんだろぉ!?」
こんなに子供っぽい愛染を初めて見た、と審神者は目を丸くする。この本丸には蛍丸がいないから、彼は一人で盛り上げ役として気を張っていた。甘える対象ができたということなのだろう。
「……あはは! 明石さんが来てくれてよかったねぇ」
「主さん!」
愛染が抗議するが、頭を撫でられて沈黙する。その様子を見て明石は相好を崩した。愛染から恨みがましい目で見られるが、それすらも愉快だった。
「そういうわけで、今日から明石さんの指定席はこちらでーす」
朝食の席。審神者は自分の左隣を指し示した。突然それを聞かされた周囲は色めき立ち、まだ起き抜けでぼんやりとしていた明石はポカンとするしかない。
「……え? なんで新人が主の隣を陣取るわけ?」
加州がちくりと嫌味を飛ばす。
いつも審神者の隣には誰が座るか水面下の争いが繰り広げられ、長年の争いの結果、朝一番に声をかけた者勝ち、一度隣に座ったら一週間は間をあける……などの不文律が出来上がっていた。それが突然審神者の鶴の一声で覆されたのである。
「明石さんが隣に座ると……なんと!」
「なんと!?」
刀剣達のノリの良さにウキウキしながら審神者は続ける。
「なんと左利きの人が隣に座ると肘がぶつからないんですよ! すごくない!? というわけでおめでとうございます明石さん、ようこそー。異論は認める」
明石はしばらくぼんやりしていたが、突き刺さるような複数の視線を感じてわざとらしい大あくびをする。
「……はあ。何やらようわかりまへんが楽しそうで結構ですなあ。ここ座ればええの」
「はいどうぞ〜。まあ今日はお試しで、次からはお好きなところでいいですよ」
明石にとっては席などどうでもよかったが、とりあえず勧められるがままに審神者の隣に腰を下ろした。食事がテキパキと配膳され、旨そうな匂いが鼻をくすぐってくる。不慣れな箸を持ち、何度か持ち替えながら具合を確かめる。なるほどやはり左手のほうが勝手がよさそうだ。
ふと、審神者が醤油さしに手を伸ばした。それを見た向かい側の加州がちくりと釘をさしてくる。
「主っ! 鮭には塩振ってあるんだからお醤油駄目だって言ってるじゃん」
「えー。でもでも、風味付けというか、香り付けというか」
「香り付け程度じゃすまない量かけてるくせによく言うよ! 歌仙が泣くよ」
「ごめん歌仙。でも私はお醤油がないと生きていけないから!」
加州の小言を物ともせず、審神者は醤油さしを奪い取り醤油をかけた。それを見た加州は、額に手を当て深くため息をつく。
「ちょっと新人! 止めてよ!」
やりとりをぼんやり聞き流していた明石は、矛先を自分に向けられてキョトンとした。
「はあ。自分が?」
「そうだよ。他に誰がいるの」
加州からピリッとした視線を向けられる。
「はあー。でもそれは主はんが食べたい味なわけで、周りが口出すもんちゃいますやろ」
「さすが明石さん! いいこと言うね!」
審神者からばっしばっしと背中を叩かれ、手に取った味噌汁をこぼしそうになった。この審神者、やたらとテンションが高い。それに古株の刀たちに目をつけられるのもかなわない。この席で食事を取るのはどうやら面倒ごとが多い、と明石は察した。さっさと食事をとって退散したほうがよさそうだった。
だが、彼の最初の印象に反して、明石が審神者の隣に座ることは意外にも定着した。明石が愛染と二人で食事を取っていると、当然のように審神者が座るようになり、愛染は歓迎の意を示した。明石の方からは積極的に隣に座ることはなかったものの、審神者が明石の隣に座りにいくことで遠慮する刀たちが出てきたからだった。
「だって楽なんだよ」
それを聞かされ続けると明石の方もその気になってくる。事実、例えば遠慮のない愛染あたりが隣に座ってガンガン肘をぶつけてくるのに比べると、審神者の隣は肘のことを気にせず過ごせるぶん楽ではあった。そのうちに蛍丸が顕現して、審神者にべったり懐いたのを見ると、なおさら遠のく理由がなくなった。
やがて明石国行は審神者の食の好みを覚えるようになった。焼き鮭には醤油、八宝菜にはお酢。目玉焼きにも醤油。餃子はお酢多めが好みらしい。ともかく、本日の料理に合わせた卓上の調味料を無言でスッと取り、審神者の届くところに置くのが明石国行の隠れた日課になった。
実のところ審神者に調味料を取ってくれる男士は彼が初めてではない。乱なんかは「はい、主さん」と語尾にハートマークがつきそうなほどアピールしてくれるし、巴形もあのクールな見た目で「主、欲しい物はないか?」と甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるのである。
ただ、何も言わず阿吽の呼吸で調味料を寄越してくれる刀は明石くらいだった。最初のうちは「ありがと〜。気が利くね」とお礼を言っていた審神者も、口をもぐもぐしながら「ん、どーも」の一言で済ませるようになった。
「……熟年の夫婦だよね」
蛍丸が訳知り顔で呟くから、明石はお茶を吹きそうになった。
「何を言うてんねん」
「あっはっはっ。イエーイ蛍君、夫婦に見える?」
明石は少々動揺したが、審神者は意に介していないようでピースをしている。
「いや、全然見えへんわ……」
明石はこころなしか肩を落として茶をすすった。動揺しただけ損だ。
「ジャムの瓶は左利きには開かないようにできている!」
今朝は珍しくパンが出て、皆思い思いのぺーストを塗っているところだが、瓶を片手に審神者が妙な理論を力説していた。鶴丸から「おっ、今日も絶好調だな」と野次が飛ぶ。
また始まった、と他の刀は軒並みスルーを決め込んでいるが、新参の明石は初めて聞く話だった。同じ左利きとしては反応せざるを得ない。
「……そうなん?」
「そうなんだよー! この蓋の溝が右利きの人に使いやすい向きになってて、左利きにはうまく開けられないんだよ」
先ほどからジャムの瓶を持ち、開けようと試みているようだが、持ち方が妙な逆手になっている。あれでは力がうまく伝わらないだろう。
瓶を審神者から奪い取り、試しにひねってみると、ぱかりと音を立てて開いた。
「……え」
「主は〜ん。そら左利きが原因やなくて、非力なだけなんちゃいます?」
審神者は呆然とするばかり。周囲からもざわめきと笑い声が聞こえてくる。
ニヤニヤした笑みを浮かべると、彼女は顔を真っ赤にして抗議してきた。
「ち、ちち違うもん! だって……だって〜」
乱がくすくす笑いながら追い打ちをかけてくる。
「主さんはずっとそれ言ってたんだよね〜」
長年の持論が論破されてしまい、審神者は歯噛みするしかない。
審神者は言わずと知れたこの男所帯で唯一の女だった。しかし、蓋が開かないのは左利きのせいであって、決して非力なわけではない。そう自らに言い訳していたのに、彼のせいでただの非力なのが露呈してしまったのだ。
「まあまあ、非力なおひいさんは座っとき」
「うわー……! おまえなんか一生、瓶の蓋開け係だ!」
売り言葉に買い言葉。この本丸で一番しょうもない係に任命されてしまった。
それからというもの、彼は審神者をからかうことを覚えた。彼女は審神者としての威厳を発揮するタイプでもなく、かといって付喪神に対してへりくだるタイプでもない、等身大の人間だった。一見まともな言動をしているように見えて予想以上に癖が強く、大変イジりがいがある生き物だと気づいてしまったのだ。
審神者が厨で遅い朝食の支度をしていると、ちょうど食事を終えた明石国行が食器を持ってやってきた。
「おはようさん。……ちゅうかこんな時間やったら『おそよう』ですわ」
「ううううるさいな。昨日は仕事が立て込んじゃって起きれなかったんだよ……」
朝食の時間はすっかり過ぎ去っており、厨はあらかた片付いている。審神者は眠い目をしながら残り物のご飯を茶碗に盛り付けていた。
明石国行は流しに自分の食器を置いた。食器を片付けながら審神者の支度をぼんやり眺めると、おもむろに切り出した。
「主はん、ジャムの瓶開かなくて困ってんやろ。開けてやりまひょか」
「えぇ……。いや別に結構です」
審神者は困惑した。今日の朝食はご飯に焼き魚に味噌汁といった典型的な和食であった。特にジャムを使う状況ではない。
断ったにもかかわらず、明石は「まあまあ、自分は瓶の蓋開け係なんで遠慮せんと」と聞き入れず、冷蔵庫からジャムの瓶を出してきてぱかっと開けてのけた。そしてドヤ顔でこう言った。
「まあ左利きの主はんには開けにくいみたいですけど、この通り自分は開けられますんで」
「なんだよ……!」
当てこすりであった。審神者がむくれてみせると、彼はけらけらと笑った。
あの時以来、彼はこうやってパンの日じゃなくてもいちいちネタにしてくるようになった。鬱陶しいことこの上ないが、元はと言えば審神者が無理のある持論を展開していたせいなのだから、反論しにくい。
「わーすごーい」
「せやろ?」
審神者が棒読みで当てこすり返しても、彼は意に介さず涼しい顔でジャムを冷蔵庫に戻した。
「そんなことより魚焼くの手伝ってくれる?」
「自分、魚焼き係は承ってないんやけどなぁ」
けしかけるも、彼の辞書には働くという文字は搭載されていないのである。やがて明石は適当に片付けを終え、へらへらと笑って厨を出ていった。
「なんだよアイツ……」
審神者のお腹が恨めしそうにきゅうと鳴った。
忙しい日々だった。バタバタしていたらあっという間に時間が過ぎる。
「はあ、今度は連隊戦か……。主力を全部隊に編成し直さなきゃいけないから頭を使うんだよな〜」
「それなら、俺が隊長に専念して近侍は他の刀に任せることにしようか」
昼飯時。食堂で昼食をつつきながら、審神者は近侍の蜂須賀と今後の連隊戦について打ち合わせをしていた。
「んー近侍ねえ……」
審神者が頭を悩ませていると、そこへ長谷部が首を突っ込んできた。
「主、でしたら私が」
「長谷部君は隊長をやってほしいんだよね。せっかく近侍と隊長職が切り離せるようになったんだから、近侍は練度の低い刀にして経験を積んでもらおうかなって」
そう言われて長谷部は「……は、主命とあらば」と引き下がる。
「なるほどね。確かに後進を鍛えることも肝要だ。主、当てはあるのかな」
審神者は頭をひねった。連隊戦の近侍は全部隊の状況を見ながら指示を出すことを考えなければならない。通常の出陣よりもかなり忙しいのだ。
「うーん……山鳥毛さんとか?」
かたん。
思いつきで言ってみたところで、隣から大きな音がした。
「食器なおしときますわ」
「ん? うん、ありがと」
明石が手際よく周辺の食器を積み上げて、机の隅に寄せる。夢中で喋っていたけれど、いつの間にかご飯を平らげてしまったらしい。ついでに蜂須賀のぶんも片付けてくれたようで「すまないね」と彼は優雅にお礼を言っていた。
さて。と、審神者は蜂須賀に向き直る。
「蜂須賀君は誰かお勧めの人いないの」
「うーん、そうだね……」
かちゃん。
隣からスプーンで食器を鳴らしたような音がした。
「ごめんちょっと今、大事な話をしてるところだから――」
審神者は明石の手を押さえる。食事中なのは悪いけれど、大事な方針を話し合っているところなのだ。
それで、と話を続けざまに正面を向くと、蜂須賀が苦笑している。
「主。俺は明石くんがいいんじゃないかなと思うよ」
「えっ??」
審神者は明石の顔をまじまじと見つめた。遅まきながら、注目を引くためにわざと大きな音を立てたことに気づいたのだ。
彼は持ち前のポーカーフェイスで審神者を見つめ返したが、やがて唇をぷくっととがらせながらそっぽを向いた。
「……なんですの、その『え?』って。はなから戦力外っちゅうんならやめさせてもらいますわ」
「いやいやいや、ちょ、待って待って! 近侍やりたがるなんて思ってなかったよ! ……やりたいの? 本当に? 君の嫌がる労働ですけど??」
審神者の指摘に明石は口をつぐむ。
顕現当時、近侍をやらせようという機会はあったのだ。しかし彼は体を慣らすので苦労していたし、何より持ち前の気質を発揮して「自分が? このやる気ない刀に何をさせようと言うやら……」などと言ってのけた。
それを素直に受け取ってしまうのが審神者のいいところでもあり、悪いところでもあった。
「そう? じゃあやる気になったら教えて」
と言ったきり、近侍の件は放置されていたのだ。忘れ去られていた、と言ってもいい。
明石国行はそっぽを向いたまま、前髪をくるくると指で弄ぶ。
「……どうしても、言うならやらんでもない、ですけど」
「……えぇ……?」
予想外の返事に審神者は脱力する。
やる気ないが売りだというから期待しないでいたのだけれど、まさかのツンツンツンデレである。お願いするならやってくれるなんてどんな風の吹き回しだろうか。
「いや、でも……そっかぁ〜」
「決して目立とうとしないけど、主の動向をよく見て動いているところは評価するよ」
蜂須賀が口添えする。確かにその通りかもしれない。彼は周囲をよく観察し的確に動く。連隊戦は部隊を総動員する戦いだから、もしかしたら適任かもしれない。それに、やる気を出してくれるなんてまたとない機会だった。
「じゃあ、お願いしちゃおうかな……?」
「……しゃーないなあ。任されました」
明石はしたり顔で頬をかく。審神者はなんだかおかしくてたまらなくなって、腹を抱えて忍び笑いをもらした。
「何わろてるんです」
「だって……君、かわいいとこあるんだね……?」
明石国行は顔を赤らめながら憮然とした表情で答えた。
「しゃあないやん。左利きなんて、みな曲者揃いですわ」