昼の会議から夜の会合まで時間があり、ひといき休憩を入れるためにホテルの部屋に戻った。
「疲れたぁ……」
いつもはラフな洋服を着ているものだから、着慣れない和服で体中がぎゅうぎゅうに締め付けられて苦しかった。ベッドに腰掛け、足を放り出すと、着物の合わせがだらしなく開いてしまう。
「主はん、その格好はいくらなんでも……」
近侍の明石が呆れているが、胸元ががばっと開いた格好の彼に身だしなみを指摘されるのは釈然としない。近侍にむすっとした視線をやり、渋々足を揃えるが、これがなかなかの苦行なのだ。
「なんか言いたそうな顔してはりますけど」
「別にぃ……。苦しいんだよこの格好」
「緩めたらええですやん」
「そうは言っても、私、着付けできないし」
今まで歌仙の小言を右から左に流していたのを今更ながら後悔していた。あの時素直に従って着付けを習っていたら、こういう時にささっと自分で着られたのに。
「ちぃと失礼」
明石が近寄ってきたかと思うと、私の胸に手を当て、帯をぐいと引っ張った。
「え、ちょ」
突然触れられて慌てるが、彼は帯の調整をしてあっさりと手を離した。
「まぁさっきよりは楽んなったんとちゃう」
との声に我に返る。どうやら下心なしに緩めてくれただけらしい。
まあ、着物の上から触れられても分厚い布に阻まれて肌の感触もわかったものではないのだけれど。ちょっとドキッとしてしまった。
「え。明石さん、随分着物の扱いをご存知ですね……?」
「……そら自分、鎌倉時代生まれの刀なんで」
普段は洋装――戦装束をだらっと着こなしているからうっかりしていたけれど、考えてみれば彼も軽装を自分で着ているし、わからないはずがないのだ。
「でも、ま、夜会まで時間があることやし。ちと休憩しまひょ」
彼はふう、と息を吐いて無造作に私の隣に座った。
ぺろりと舌なめずりをしたように見えたのは気のせいだっただろうか。
「女人は紐が多くて大変やなぁ」
と、彼は手際よく着物を緩めにかかった。
「本当ですよ……もう何回締められたか」
着物がこれだけ大変な衣服だなんて。見栄えはいいけれど着るたびにへとへとになるのは勘弁してほしい。
帯紐を緩め、帯をストンと落としたところで手が止まった。
「こらごっつい板が出てきましたけど」と帯板を拾い上げる。
「あーこれは、敵の攻撃から身を守るための……あっそんな目で見ないで」
しょうもない冗談が口をついて出るが、彼の冷たい視線に耐えかねてしまった。
だって気恥ずかしいのだ。私はちょっと着物を緩めて体を休めるだけのはずだった。近侍の彼もそのつもりで粛々と着物を緩めてくれている、はずだ。胴回りに腕を通されて、まるで抱擁されていると思うほど距離が近い。自分ばっかり意識してドキドキしてくるけれど、妙な下心など持ってはいけないのだ。
しかしそんな私とは逆に、明石はあくまでもマイペースだった。
「なんやこの……ゴムパッチンが出てきましたけど」
「ああ、歌仙さんがなんか色々言ってたっけ……」
着付ける時の歌仙は雄弁だった。まあ本当ならなくてもいい物だけれど便利だからね、と好きな分野を語る時の彼はちょっと早口になるのだ。
「ほぉん。ああ……襟を留めてんねや。なるほどなるほど」
明石はなんだかよくわからない声をあげ、もたつきながら取り外しにかかる。伊達帯を外し、長襦袢を床に落とす。
「タオルがようさん出てきました」
「すっごい詰められちゃった。はぁー、楽になった……」
もう何本帯やら紐やらで締め付けられたか。このタオルも体型を隠すためとかで散々詰められたのだ。
肌襦袢姿になり、くたっと力が抜けた。脱ぎ散らかした着物の量に笑ってしまう。
この格好、歌仙だったらはしたないと怒っていたかもしれない。けれど肌を露出しているわけでもないのでまあいいかと思うことにする。どうせ色気のある格好でもないし。当の明石だって顔色ひとつ変えないじゃないか。
だから私は油断しきっていたのだ。
「こらえらいこっちゃ。こないにぎゅーぎゅーにされてもうて、そら苦しいわ」
「本当にね。もっと楽に着られたらいいのになぁ」
世間話もそこそこに、明石はおもむろに肌襦袢の結び目に手をかけた。
「……あ。もう大丈夫だよ、ありがとう」
やんわり手を抑えて止める。さすがにこの下は下着だけしか身に着けていない。これ以上はマズイ。
彼はキョトンとした後、うつむいて肩を震わせはじめた。
「……ふっ、くくっ。まさかお礼を言われるとは」
「ん?」
「危機感ないとは思ってましたけど、ここまでとはなぁ」
「はい……?」
なんだか様子がおかしかった。今まで無関心を装っていた彼がニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべているのを見て、ようやく自分の立場を理解する。肌襦袢――下着同然の姿でベッドに腰掛けていて、近侍の彼が今まさに襦袢の紐を解こうとしているのだ。
しかし明石が緊張感なく着物を緩めていく様子に下心などないと思い込み、反応が遅れてしまった。
なんだか現実感がなかった。だってあの明石が。蛍丸と愛染国俊のためなら有能な働きを見せるけれど、それ以外にはふわっとしてやる気ない態度を見せる明石が、私とコトに及ぼうとするなんてイマイチ想像できないのだ。今日だって近侍の仕事だからと渋々ついてきた。私のことなんて眼中にないと今まで思っていたくらいだった。
「えっ……着付け直してくれるんだよね……?」
「……」
私の的外れな問いに、彼は黙ったまま肌襦袢の紐を解いた。
指先でちょいちょいと結び目を引くと、はらりと紐が落ち、下着と太腿があらわになる。襦袢の裾を抑えて抵抗を示すが、明石は構わず顔を近づけてくる。
明石の意外にしっかりした首筋と胸筋が嫌でも目に入る。憂いを帯びた美しい瞳がゆっくりと近づいてきて、否応なしに意識させられる。
「ほ、本当に……?」
そういえば着物を緩めていく際、彼は時折もたついていた。特に近代の小道具には初めて見るような反応を示した。
着付け直しが本当にただの口実だったとしたら。
明石は繊細な手つきで頬を撫で、うっすらと笑みを浮かべた。
「……ま、まだ時間もあることですし。とりあえず、ゆっくりご休憩しまひょか」