その手に一輪の花を

「……あっちゃあ」
 明石国行がズボンのポケットに手をやると、中からはくしゃくしゃに折れ曲がった花が一本出てきた。
 仕方のないことではあった。何しろ今は出陣中なのだ。敵の殲滅、身の安全の確保が最優先。任務にないような花の保持になど気を遣っている余裕がなかったのだ。
 凛とした白い花だった。まるで誰かを思い起こすようで、柄にもなくその花に手が伸びた。誰に渡すわけでもないけれど、と自分に言い訳しながらその花を手折り、なんとなく後ろ手に隠した。
 そんな明石の事情など敵が慮ってくれるはずもなく、遡行軍が現れ、刀を剥き出しにして襲いかかってくる。出陣部隊は応戦の構えを取り、刀を握るために花はポケットにねじ込まざるを得なかった。文字通り命がけの交戦、花を慮る余裕などなかった。そして案の定花はポケットの中でぐしゃぐしゃに崩れ、凛とした美しさは損なわれてしまった。
 ふう、とため息をひとつつき、ポケットの中身を打ち捨てる。
 無残に押しつぶされた花が、まるで現実を思い知らせてきたようだった。刀が審神者によって自我を与えられ、敵と戦い、そして本丸で生活していくうちに芽生えかけてきたこのかすかな感情。まるで戦乱の世の中ではこのような淡い感情は必要ないと思い知らされたようだった。これでよかったのだ、と自らを納得させる。ぐしゃぐしゃになった花を持ち帰ったとして、喜ぶ者はいないだろう。


 しかし自分の気持ちに決着をつけたところで、周囲は自分を放っておいてはくれないようだった。
「明石さん、そのお花どうしたんですか?」
 出陣部隊の一人、秋田藤四郎が人懐こい笑顔で話しかけてきた。今この瞬間まで戦闘をしていたことを感じさせない、愛らしい子供同然の姿をした短刀だ。
「見ての通りですわ」
 苦笑して、くしゃくしゃになった花を見やる。背中から今剣が飛びついてきた。
「あかしはおはながすきなのですね!」
「おお!? ……いやまあ、そないなわけでは」
「ひょっとして主君への贈り物ですか?」
 秋田からの不意打ちに口をつぐむ。言い訳を考えながら口ごもっていると、今剣がにやにやしながら冷やかしてきた。
「あかしもすみにはおけませんね」
「いや、せやからちゃいますって……」
「そうなんですか? でもあるじさまは、おはなをあげると、よろこびますよ!」
「おー、そうなんや。よぉ知ってはりますなぁ」
 愛染国俊や蛍丸と一緒に面倒を見ることもあるせいか、自分はどうにも短刀に好かれやすい性質であるらしい。今剣が無遠慮に肩によじ登ってきたから、手を添えてそっと支えてやる。
 ふと、秋田が何かをひらめいたらしい。ぽん、と拳で手のひらを打ち付けると、キラキラした瞳で後方を振り返って言った。
「いいことを思いつきました。遡行軍をやっつけたら、そのお花をもう一回探しましょう! ねっ、いいですよね陸奥守さん」
「え、ちょお、ま」
 えらいことになってきた、と明石は思った。

 自分のこの気持ちは、ほんの一時の気の迷いだ。
 そもそも刀である自分が贈り物をしようなどという気になったこと自体がおかしかったのだ。花はくしゃくしゃに萎れ、持ち帰るのに失敗した。この話はこれで終わり、と自分の気持ちに始末をつけたはずだった。
 それが隊長の陸奥守にまで話が通ってしまい、第一部隊公認で再び花を探すことになってしまった。
 彼らは決して茶化すわけでもなく、ただただ善意で手伝おうとしている。大変に断りにくい。
 明石がどうやって断ろうか逡巡する間に、陸奥守は鷹揚にうなずいた。
「えいよ。ちっくと目的を達成させたら、多少は融通する時間ぐらいあるじゃろ」
「いや、自分は別に」
 にっかり青江が意味ありげに微笑み、口を挟んだ。
「ふふふ。お花を摘みに行くのかい」
「それ意味ちゃいますやん」
「わかっているよ。花を贈ろうだなんて、なかなか情熱的だね?」
「いや……あんなあ……。自分は別に何も」
 明石は首を振る。危うく彼の論調に乗せられるところだった。そもそも贈ろうとまでは決めていなかったのだ。
 秋田が純真な瞳で見つめながら首を傾げている。
「え? 主君にお花を贈るんですよね?」
「ふふふ、そうだねぇ。花を贈るというのはただ渡すだけじゃなくて、特別な意味を込める場合もあるのさ。この明石君のようにね」
「はあ!?」
 青江にしたり顔で解説されて、ついうっかり反応してしまった。我に返り、平静を装うがもう遅い。何かを察したらしい青江と陸奥守からはニヤニヤと意味深な笑みを向けられて、どうにも居心地が悪い。
「……何わろてはるんですか」
「いや? ちょっとカマをかけたら、素直だなと思ってね」
「ほぉー。そういうことじゃったか」
「いやいや……。そんなわけ――」
「そうだったんですか!」
 秋田がキラキラした目で見てくるから、口を噤まざるを得なくなった。この純真な瞳の前で嘘などつけるはずがないのだ。明石は忙しなく前髪に触れながら視線をそらす。
「あー……いや、まあ……」
 煮え切らない返事。だが、秋田はそれを肯定ととらえたらしい。
「そういうことでしたら、この秋田、全力でお手伝いしますよ! わくわくしますね!」
「ぼくもおてつだいします! ばびゅーんといきますよ!」
 短刀がはりきって花を探すべく飛び出して行った。
 その横で青江と陸奥守が含み笑いをしている。この状況を面白がっているのだろうが、どうにも悪意がないところがまた厄介だった。
「ハァ……もう、何なん……? やりにくうてしゃーないわ」
「まあまあ。君の浮いた話に興味津々なんだよ」
「浮いた話いうても、なぁんもあらへんけど」
 青江が探りを入れてくるが、審神者とは決して特別な関係などではない。ただちょっと、顔を思い出すたびにむずがゆい気持ちになるだけだ。そのようなことをぽつりぽつりとこぼすと、青江が小気味よく笑った。
「ふふふ。君は気づいていないようだけど、恋をしている人の顔をしているよ」
「やき。春じゃのお」
「ちょお、見んといてくださいよ」
 思いもよらぬことを指摘され、明石は両手を振って顔を隠した。それを見た青江と陸奥守はまた笑った。

 ふと、話に入って来ようともせず面倒くさそうに佇んでいる大倶利伽羅と目が合った。
「……どうでもいいな」
 その歯に衣着せぬ無関心さに、なんだかホッとしてしまった。彼の竹を割ったような言い方は案外嫌いではない。……まあ、審神者は彼の扱いに苦労しているようだけれど。
「せやろ? 話がわかるお方がいて助かりますわぁ」
 明石がニコニコしながら大倶利伽羅に話を合わせると、彼は「チッ」と舌打ちし「馴れ合うつもりはない」とお決まりの台詞を吐いた。
「えぇー! お花探しましょうよぅ」
 秋田がこちらを振り返り、ほっぺたをぷくーと膨らませる。まるで駄々をこねた蛍丸をつい思い出してしまい、明石から笑みがこぼれた。
「……はいはい、しゃーないなあ」
 なんだかんだいって花を贈るのも、部隊の面々のお節介も嫌なわけではないのだ。ただおおごとになってしまい、少々気恥ずかしいだけで。
「おんしら、敵の本陣はまだ先じゃというのに……」
「ふふふ、欲しがりやさんだね」
 陸奥守と青江が一歩後ろで苦笑している。
「あかしー! ありましたよーっ!」
 今剣が遠くから手を振って知らせてくる。
 先ほどの花はポケットでくしゃくしゃになってしまったが、お節介な刀達によって再び発見されてしまった。秋田や陸奥守に背中を押され、今剣のところにあっという間に到着する。
 可憐でたおやかな白い花が名も知らぬ草木の中でひっそり咲いている。まるで刀である自分が、まだこのような心を持ち続けていいのだと許されたようだった。
「いやまあ……花を渡すなんて柄やないねんけどなあ」
 明石は無意識に頭をかいた。
 花を渡したら、彼女はどんな顔をするだろうか。その光景を想像すると、くすぐったい気持ちが再び湧き上がってくる。
 刀達に見守られながら、明石はその花をそっと摘むと懐にしまいこんだ。今度は帰還するまで無事でいてほしいと願いながら。