キスの日(明石編)


 ほんのり開けられた戸口に立っている明石に気づいたのは、審神者が仕事にひと息ついてからのことだった。
 いつから立っていたのだろう。人ひとりぶん通れる隙間を開けてあるにもかかわらず、彼は執務室にも入って来ようともせず、表情をなくして佇んでいた。ただごとではない。
「どうしたの?」
 審神者は戸口に近づいた。
 いつもの彼はうっすらとした笑みを浮かべ、決して本心を見せようとしない男だった。それがどうして、こんな所在なげに佇んでいるのだろう。にわかに不安を覚える。
 彼の手が伸びてきて、審神者の頬に触れた。あ、と思う間もなく彼の腕の中に捕らわれる。そして優しく唇が触れてくる。
 審神者の頭は真っ白になった。普段このような触れ合いを好まない明石が何の前触れもなく唇を寄せてきたのだ。唇の先端が触れるだけの淡い触れ合い。次第に熱を帯びてきて、唇を食んでくる。
「な、」
 首を引いて、なに、と聞こうとしたが声にならなかった。彼が再び口を塞いできたからだ。口を開いた隙間から、舌が差し込まれる。優しく舌が触れ合って、そして再び唇の先で触れるキス。すっかり顔色を取り戻した彼が、ふわりと笑った。

「主はん。今日は何の日か知ってはりました?」
 明石はいつもの笑みを浮かべて問うてくる。
「え? 何の日……?」
 何かの記念日か、と首をひねってみるが、心当たりがない。刀帳番号? 顕現した日? まさか付き合い始めてから一ヶ月か、などと考えるが違う気がする。そもそも彼はそのような記念日を祝うようなタイプには思えなかった。
「何か忘れてたっけ……?」
「さあ、何の日だったでしょうなあ?」
 彼は満足そうに笑って部屋を後にする。「教えてよ!」と審神者が叫ぶが、そのまま行ってしまった。
「何なの……?」
 審神者の頬が染まったまま、やりきれない気持ちだけが残った。
 キスの日だと知るのは、ずっと後になってからのことである。